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日々のこと・日々の想い

お誕生日おめでとう。長男に送る愛のメッセージ。

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長男サナが今月4日に8歳になった。

日本で迎える初めての誕生日。
サナは朝からご機嫌だった。

私は連日のキャンプ続きで疲れが一気に押し寄せ、熱と咳に寝込んでいたのだが、我が家ではじいじとばあばがサナの大好物に加え、ケーキとプレゼントまで用意してくれていた。本当に感謝し尽くせない。

大好物の鯛のお刺身と、唐揚げを頬張りながら、「おいしい。おいしい。」とご飯をおかわりして食べたサナ。

そして夜、南アフリカに住むセコに電話する。
彼は電話の向こう側で、ハッピーバースデーを歌ってくれた。

嬉しそうなサナと、キャッキャと笑うンペポ 。
私は一番感動して、思わず涙を流していた。
本当はそばで一緒に祝ってあげたかっただろうに、いつも一言も泣き言を言わない彼は本当に強い人だ。

そしてSNSを通してアフリカの家族からお祝いのメッセージが届いていた。
そのお祝いのメッセージに親戚中が賛同して、私はそのメッセージを見ながら再び感動した。そして改めて彼のルーツを考えていた。

サナはトランスカイ(南アフリカの我が家がある場所)生まれ、トランスカイ育ちだ。
家畜の面倒の見方から、屠り方など、いろんなことを父親に習いながら育ってきた。

日本に来て5ヶ月、それはサナにとって本当に新しい環境に飛び込んでチャレンジ続きの5ヶ月だった。
外国人を多く受け入れる学校に転入が決まったけれど、それでも自分の拙い日本語や、容姿が他の日本人と違っていることを感じざる得ないことだろう。

しかしこの5ヶ月で彼の日本語はかなり上達し、漢字まで書けるようになった。

ある日、妹のンペポ が「日本人に生まれたかった〜」と、漏らした。彼女の通う幼稚園で、なんで髪の毛がクルクルなのかなど園児に聞かれたりして、そう感じたのだろう。

そんな彼女にサナは「僕たちのお父さんは南アフリカ人なんだ。僕たちは南アフリカ人でもあるんだよ。だからみんなと髪の毛が違うけど、でも日本人でもあるんだよ。」と説明していた。その姿がどれだけ頼もしく見えたことか。

私はいつでも彼らのルーツに誇りを持って欲しいと願っている。
彼らは「日本人」でもあり、「南アフリカ人」でもあり「コサ族」でもあり「カラード(南アの混血の人々)」でもあり、「ハーフ」でもある。なんと自分のアイデンティティを定義するかは、彼らの自由だ。それでも自分であることに自由であって欲しいと願っているし、自信を持ってもらいたいと思っている。そのために、両方の文化を知ることは大切なことだ。

子供達を見ていると、本当に未来の人間なんだな、と感じることがある。
正直、彼らに人種はない。人種という壁は生まれながらに超えている。
これからの未来を明るく照らして欲しいと希望を持たずにはいられない。


サナ、8歳のお誕生日おめでとう。
ママはサナのことをとてもとても誇りに思っているよ。
これからもスクスク大きくなって、自分のやりたいことを見つけて、自由に羽ばたいてください。




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日々のこと・日々の想い

「どう生きたいのだ? 」そう自問する日々。移住してからの素直なこの4ヶ月の想い。

早いもので、もう日本に来てから4ヶ月経とうとしている。
子供達は学校と幼稚園の生活のリズムに慣れたようで、子供の順応性の高さに驚く。

肝心の私といえば、気持ちに素直に生きようと「何がしたいのか」と心に問いかける日々。子供のような順応性が羨ましくもある。

私は日本人になる方法をわすれてしまったのか。
ふとそんな不安が胸をよぎる・・・。

仕事を探さなければ生きていけないのかもしれない。
子供たちを養えないのかもしれない。
でも魂は確実に自由を求めていて、それが甘えているのではないかと、私の心を苦しめる。そして私は霧の中を漂う。

ぼんやりとしか周りが見えないこの霧の中で、目に入ってくるものは、やっぱり植物や、虫など、北九州の街中でも見られる、身近にある自然だ。

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どくだみ、ユキノシタ、よもぎなどの日本の薬草。
これまでアフリカで薬草に詳しいセコと暮らしていて、南アフリカの薬草は学んできたけど、日本の薬草を見ると胸がワクワクするのを抑えられない。早速私はアルコールに浸けて、チンキ剤を作る。

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日々のこと・日々の想い

「エシカル」ってなんだっけ? 消費するだけで社会が良くなる魔法の言葉。

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はじめてのエシカル」の著者であり、エシカル協会代表理事の末松里花さんの講演に行ってきた。シソドワが長年作品を置かせていただいているフェアトレード のお店「緑々」の店主の緑さんのお誘いだ。

最近「エシカル」という言葉をよく聞く。ライターという仕事上、エシカルという言葉は知っていたものの、きちんと定義できるまでの理解はなかった。(エシカルというのはそもそも形容詞なので、名詞が次にくる)

エシカルとは「倫理的」とか「道徳的」だというとても大きな意味がある。世の中でたくさん起こっている環境問題や人権問題などを解決する一つの方法として今、「エシカル消費」という消費の仕方が注目されているのだ。

それを説明する上で、里花さんが用意してくれたYou Tubeの動画が、とてもわかりやすいので、リンクを貼る。

https://www.youtube.com/watch?v=KfANs2y_frk


英語なので、多少わかりにくい人もいるかもしれないが、大まかに説明すると€2のTシャツが買える自販機を街中に設置し、お金を入れたらそのTシャツがどのように作られているのかという背景の情報が出てくるという内容だ。最後に「購入」するか「寄付」するかを選べる。里花さんのお話ではこの時、100%の人が寄付することを選んだという。

この動画は「People care when they know」という言葉で最後をくくっているのだが、この動画はまさその言葉を表している。破格に安いものなどには、その裏に大きな代償がある。しかしその裏側を知らないのなら、私たちは気遣うこともできない。そして知らず知らずのうちに、かわいい商品やおいしいものを購入するという形で、その現代奴隷や児童労働を始めとする、世の中に存在してはいけないようなシステムをサポートしてしまっているのだ。



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sisodwa さくひん・工房

まわりまわる輪の中で生まれる作品

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ゴールデンウィークに出店していた「にじのこまつり」で久々に再会した友人が、家の押入れの中でずっと眠っているビーズがあって、ずっと使ってないので私に使って欲しいと、言ってくれた。

数日後、想像していたよりもずっとたくさんのビーズが家に送られてきた。

天然石や、骨、ガラスを使ったビーズがキラキラと光っている。

ながーい間、眠っていただろうビーズたち。縁を辿って私の手元へ来てくれてありがとう。
送ってくれた彼女には、早速いただいたビーズを使ったピアスを送る。

自然素材で作るシソドワの作品は、一つ一つ手作りで、とても小規模で作られている。
ビーズとの出逢いも一期一会。
同じビーズがいつも手元にあるわけではない。

そんな縁あって私の手元にたどり着いたビーズ。
さぁ、創作活動に気合が入る。

読者の皆さん、押入れの隅っこで眠っている天然素材ビーズ、昔使っていたアクセサリーだけど、ビーズとして生まれ変われるようなもの、あったら私にたくしてもらえませんか? 

もれなく、そのビーズで作った作品を一つプレゼントします。




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日々のこと・日々の想い

透明人間になった私。「自分だけが持つ独創性を信じたい」

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北九州の繁華街を一人歩き、とても違和感を覚えることがある。

私の暮らしていた南アフリカのウムタタには日本人は私しかいなかった。
ウムタタの人口の多数派はコサ族だったので、繁華街に出ると、コサ族で溢れかえっていた。

私は歩くだけで大層目立ち、「チャイナ!チャイナ!ジャッキーチェーン!」とからかわれたものだ。そんなことも日常になっていたので、気が向けば「你好!」などと挨拶したり、気が向かなければ知らん顔したりしていた。8年も住めばそれにもすっかり慣れていた。日本語を話すことなどなかったのだ。

そして今、繁華街を一人、歩く。
当然のこと、繁華街を歩いて私のことを振返って見る人などいない。そこに私が存在していないかのような、不思議な感覚を覚える。誰も私のことを気に留めない。私は透明人間になった気持ちになった。だーれにも見えない透明人間。

私は改めて、自分が日本人だと確認する。当然のことだけど、私にとっては当然ではない。日本人の一人もいない場所で8年間、生きてきたのだ。今思うと私はスイミーのようだった。真っ赤な魚たちの中で、一匹だけ真っ黒なスイミー。でも私はスイミーであることを楽しんでいたんだ。

透明人間になった私は、商店街の人混みの中を歩き、すれ違う一人の外国人を見つける。あ、ここにもスイミーがいる。

そして今、同じ魚の群れに、私は舞い戻る。同じ言葉、同じ文化、同じ民族。それはとっても心地良いものだ。

でも私は一度自分の人生でスイミーになった経験を忘れたくないなと、ふと思う。あの経験のおかげで、堂々と人と違っていられる勇気をもらった。

私は人と違うことを恐れない。人と違うことを楽しみたい。自分だけが持つ独創性を信じたい。
他人が自分と違うことを楽しみたい。いろんな人間の存在を楽しみたい。いろんな刺激を受けたい。

同じ色の魚の群れに入った私は、実はそんなに同じ色でもなかったのだと気がつく。私は私だ。全く同じ魚なんて本当は一匹もいない。変わり者になる気もないが、人に理解してもらえるように生きる気もない。
感じるままに、私は私を生きよう。そんなありのままの自分を受け入れてくれる人はきっといるはずなのだから。



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