私らしく生きられる道を選ぶ。そして家族新メンバー紹介 〜2017年、年の瀬に〜
第25回 私らしく生きられる道を選ぶ。そして家族新メンバー紹介 〜2017年、年の瀬に〜
2017年がアッと言う間に終わろうとしている。
山もあり、谷もあり、山の時は笑い、喜び、幸せを感じ、谷の時は、泣き、怒り、落ち込んだ。
今年は村に行くチャンスがグッと減った年となった。
ライターの仕事が忙しくなったことや、村の家の世話を知り合いの男の子に頼み始めたことなど原因はいろいろあるのだが、アフリカに嫁いだならではの、こんな話もある。
私たちの村トゥフエー二村は伝統が残るコサ族の村である。
私はコサ族の文化をとても尊敬している。だが、私はコサ族ではなく「コサ族に嫁いだ日本人」なのである。結婚してから、この辺で随分と悩んだものである。コサ族の村々では結婚するとコサ族色に染まることを期待される。親族もそのつもりで受け入れてくれる人が多い。みんな私のことを歓迎してくれているのだが、「コサ族らしく」振舞わないと、批判的なことを言われることもしばしばあった。多くの村人はその一生を村で過ごすのだから、それも仕方ないのだが。

結婚したての頃はコサ族らしくしようと努めたが、育ってない文化に完全に染まるというは、なかなか難しいことだ。そんな自分にちょっと疲れてしまった。夫セコは私らしく生きればいいと思っているし、セコのママもそんな感じなので、幸いにも自分らしくいれるスペースというのは充分ある。
どんなに村が好きでも、自分らしく振舞えないというのは、疲れてしまう。人間は誰も自分以外の人間にはなれないのだ。コサ族の文化の重要なことは守るけれど、彼らと常に同じように振る舞うことはできないし、同じように考えることもできない時も、もちろんある。今は、それよりも日本人として受け入れられてもらう環境を自分から作っていった方がいいと感じている。私はいつも、できるだけ私らしくいられる道を選ぶ。お金持ちよりも、有名人よりも、私は私らしく生きたいと思っているからだ。
私が主に暮らしているもう一つの我が家、トレーラーハウスがあるウムタタの街は、住人の大半がコサ族ではあるけれど、それでもいろんな人種が混在している。同じコサ族でも、街で暮らすコサ族は近代的なライフスタイルだ。だからいろんな人種の友達がいて、彼らも私を日本人として快く接してくれる。それが心地いい。
だからと言って、私が村の暮らしを諦めたわけではない。でも自分の心が疲れてしまうのなら、無理やりに行くことでもないのだ。何か違う方法で村と関わることもできる。
今年は村に行く日数が減ったことで、ウムタタの街の家と畑に力を注いだ。街にいても、私の暮らす我が家の近くには自然があり、野鳥も多い。

(芝生を鶏に食べ尽くされたので、今年は玄関近辺に芝生を植えた。)
庭に住み着く同居人のハタオリドリも、私のトレーラーハウスでの暮らしの楽しみの一つ。村へのこだわりもあったが、きっと今は少し距離を置く時期なのだ。


PR
FiNCFitボディデザインブログラム


