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暮らしのエッセイ

「母性は神様からの贈り物」母親になることと向き合うことの大切さ

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第19回    母親になることと向き合うことの大切さ


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(3年前のサナとンペポ)



最近のうちの子供たちは自分らの遊びに夢中だから、私にかまう暇もないって感じだ。

そういえば私、「子供がいるから何にもできない!」と思ったこと、ほとんどないかもしれない、とふと思う。
あるといえば日本に帰国している時に、シソドワの活動をしようと思った時くらいで、アフリカの暮らしではほとんどない。時間に余裕があるからだろうか。

赤ん坊の世話に追われて・・・という感覚もほぼなかった。二人とも布オムツで、毎日大量のオムツを洗った。離乳食も手作りで作った。長男は母乳が足りなくて、粉ミルクを足したけど、でもおっぱい大好きだったから、二人とも私にぴったりだった。アフリカ男児は九州男児にも似て、夫セコはオムツを一度も替えたことがない。

でも・・・私はセコに「オムツを替えて欲しい」と思ったこともない。
だってオムツ替えるのって、赤ん坊の健康チェックでもあるし、コミュニケーションでもあるし、それをストレスに思うって感覚がなかった。ンペポは1歳でオムツ取れたし、うちは楽だったのか・・・。

私は「必要とされている」という感覚に満たされていたのかもしれないと思う。

長男が生まれた時は、まだアフリカで暮らすことに慣れることで精一杯で、誰かに常に傍にいて欲しいと思っていたのは、私の方だったと思う。長男は夜泣きもしたから、夜寝れない時間もだいぶあったけど、初めての子育て。だから大変だなぁと思ったけど、3ヶ月もすれば夜はたっぷり眠ってくれた。

「ワンマン育児」という言葉があるけど、なんだか「育児」をとても義務的な感じに思わせる言葉だ。そりゃ、女性の社会進出とかなんとか、男女平等とかなんとか、時代に合わせた夫婦の形があることはわかるけど。「母性」というのはもっと普遍的なもののような気がするのだ。

男性が育児をすることを否定してるわけじゃない。育児は本当に神秘な作業だから、ぜひ一緒にするといい体験ができると思う。

でも育児を押しつけ合うのはなんか違うんじゃないかな。




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暮らしのエッセイ

メディアで伝えない南アフリカが真の独立を遂げてない理由《フリーダムデーに》

 4月27日、南アフリカは「Freedom Day」だった。とうことで、今日は一般的にはメディアでは伝えない南アフリカの独立の話をしてみようと思う。

 現在ほとんどのアフリカ諸国は旧植民地であるイギリス、フランス、ポルトガル、ドイツ、オランダなどから政治的に独立を成した。南アフリカはその中でも一番最後1994年に独立した国である。金、ダイアモンド、ウラン、鉄鉱石、 石炭、銅、などの膨大な資源と、温暖な気候で白人の農業が盛んなことから、なかなか独立をすることが難しかったのである。

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暮らしのエッセイ

”虫の知らせ”で自分のその日の運気を見てみよう

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第18回   
”虫の知らせ”で自分のその日を運気を見てみよう




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(Photo by Rowan Heuvel)




 朝一番に些細なことが心を満たしてくれると、立て続けに良いことが起こり、その日1日何をやってもうまくいく日がある。それは庭の花が咲いたとか、天気が自分の気分とマッチしていたとか、全ての些細な幸せを含める。
上昇気流に乗った私は、いろんなことにチャレンジする。すると予想以上に上手くいく。たまぁ〜に来るから貴重な“上昇気流の日”を見逃さないように、ぐんぐん空に昇っていこう。





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(Photo by Jeremy Bishop)




 朝一番に些細なことで心の調和が乱された時、それは誰かの不幸な話を聞いたり、小さくても怪我をしたり、ネガティブなマインドの人に触れ合ったり。そんな時は心が萎んでしまう。そんな萎んだ心の上に期待外れのことが重なる。下降気流に乗った私は、ひたすら落ちてゆく。今日は何をやってもダメな日と腹をくくり、な〜んにもトライしない。できるだけ怪我しないように、慎重にゆっくり落ちていこう。この日のうまい話には絶対乗らないこと。たまぁ〜に来るからご用心の“下降気流の日”。


 もちろんどっちつかずの日もあれば、風の吹かない日だってある。でも私たちは”虫の知らせ”で自分のその日がどんな1日になるのかを、知る力がきっと備わっている。向かい風の日はお休みして、追い風に吹かれて生きていく、そんな感じ。



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暮らしのエッセイ

「誰のことも恨まずにこの世を去る」人生、楽しく生きていきたい

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第17回    「誰のことも恨まずにこの世を去る」人生、楽しく生きていきたい

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(ポート セント ジョーンズ in トランスカイ)

人生楽しく生きていきたい。誰もがそう思って生きているのではないだろうか。
しかしみんな自分で自分を不自由にしたり、思わない方向に向かわせたりしている、そんなものだ。
肝心なことは、自分で自分のマインドを解放すること、私はそのように思っている。

といいながらも、私は何かに耐え、乗り越えることで精神修行をすることが好きな一面がある。私にとって楽しいだけの生き方は退屈なのである。いや、“退屈”と表現するのは少し違うかもしれない。

それは私の旅のスタイルを例に出すとわかりやすいのだが、旅の予算が低かったとはいえ、ヒッチハイクで世界を旅するというのは、なかなかタフな体験であった。もちろん肉体的にタフだったこともあるが、いつ着くかもわからないのがヒッチハイクである。そして人の優しさの上に成り立つので、優しくされているのに、それが心からの優しさなのか、何か下心があるのか、など常に見極めねばならなかったのだ。そんな精神的なタフさが要求された。

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(ヒッチハイクの旅。エチオピア ラリベラにて)

人気の宿に泊まり、同じようなバックパッカーと友達になりながら、美しい場所を観光して、ほぼ必ずその地につける公共の交通機関を使い、最高に楽しい旅をする。私の旅(ユーラシア大陸・アフリカ大陸の旅)は、そんな旅ではなかった。無論、私がそのような旅を否定しているわけではないことはご理解いただきたい。私はそういった旅の“楽しさ”にあまり心を惹かれないのである。

旅の中、私は精神修行をしていた。時間にも縛られず、明日の行き場もわからない、お金だけに頼らない旅、タダで乗せてもらうヒッチハイク、タダで泊めてもらう民泊、自分をできるだけ自由な姿に解放し、他力に任せる、一瞬先もわからないような自由。タフではあったが、私は正直、そんな瞬間“楽しさ”にも似た心の高揚を感じていた。そんな状態でいると、頭の中に閃きを感じ、出会う人を見るだけで、どのような人なのかを感じ取ることができた。それはとても不思議な感覚であるが、私はそのように出会う人に身を任せ、世界中の人々にお世話になっていた。



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暮らしのエッセイ

「生きている間に伝えられるだけ伝えられれば、それでいい」私がテレビのオファーを断る理由

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(Photo by Tina Rataj-Berard)


「生きている間に伝えられるだけ伝えられれば、それでいい」私がテレビのオファーを断る理由

数年前にもブログに書いたが、テレビのお話がここ数年すごい。これだけお断りさせていただいているにも関わらず、月に一度はテレビ出演のお話をいただく。

最初に言っておくが、うちにはテレビがない。あったとしても南アフリカでは日本のテレビ番組は映らないし、日本のテレビ番組はここ10年以上ほぼまともに見たことがない。なので、私の「テレビ」へ対しての価値自体が「不必要なもの」という扱いである。もちろんドキュメンタリー物など素晴らしい番組もあることはわかっているが、我が家にテレビは必要ないのだ。なので、この記事がテレビのオファーが来るという自慢話ではないことはご理解いただきたい。

その番組はどれもこれも「なぜここに日本人」「世界ナゼそこに?日本人」というようなタイトルだ。何チャンネル、同じようなテレビ番組があるのだろうか、とビックリしてしまう。そりゃ、世界中の秘境に暮らす日本人をシラミつぶしに探したくもなる。

帰国した時に両親が録画していたものを観せてもらったので、私もそれらがどんな番組なのかは知っている。私自身、「なぜここに日本人?」と住んでいて問いたくなるくらいだから、そんなテレビ番組に私がマッチしているのはわかる。しかし当の私はというと、やっぱり「テレビ」という響きに引いてしまう。


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