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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

ファンルーに会いに行こう!《後編》

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)
「番外編 あの日ガーナで私の胸を突いた一つの質問
「番外編 ファンルーに会いに行こう!《前編》
「番外編 ファンルーに会いに行こう!《後編》


(番外編) ヒッチハイクと私の旅
~ファンルーに会いに行こう!《後編》~



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10年前のヒッチハイクの旅。私はアルバニアでキャンピングガーで旅する二人のスペイン人に拾われた。その後、幸運にも彼らとアルバニア、ギリシャ、イタリア、スペインの南部ヨーロッパをキャンピングカーで2ヶ月の旅をした。

旅で起こることは全て偶然だ。いや、人生で起こることも全て偶然なのだろう。その偶然の中に今の自分がいる。そう思うと、全ての偶然は必然と言えるだろう。

3月のはじめ、ファンルーが電話で気軽に私に言った「来週会おうよ」という一言がなければ、今こうして私がNature’s Valleyの神秘の森に足を運んでいることもなかっただろう。そして私があの一言に飛びつかなければ、こうして10年ぶりに彼に再会することはできなかった。(ファンルーに会いに行こう《前編》はこちら)

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その宿ワイルド・スピリットから「マジック・フォレスト」と呼ばれる神秘の森へ歩いていった。3歳になるンペポは、先頭に立ち、一人で歩いている。自然を感じて楽しんでいる。

私たちがこの森へ着いたのは夕方の5時。日はすでに傾き始めていた。しかし宿の人に気軽に行けるハイキングコースだからと勧められ、私たちは歩いて行くことにした。最後にその彼に「森に入ると、妖精や、ユニコーンに会えるかもしれないよ」と囁かれる。

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その森は鳥のさえずりや、虫の声などの音が気持ち良く響いていた。歩きながら私たち三人はその気持ち良い沈黙を続けた。森に降りてくる光が綺麗。


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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

ファンルーに会いに行こう!《前編》

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)
「番外編 あの日ガーナで私の胸を突いた一つの質問


(番外編) ヒッチハイクと私の旅
~ファンルーに会いに行こう!《前編》~



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「モモ、どうだい、来週末会えないか?」

突然、その電話で彼はいとも簡単に私に言った。私は一瞬戸惑ったものの、その勢いに押されて、「オッケー、じゃぁ計画立てよう。」と答えていた。

電話で話していたのはファンルー。あのアルバニアでヒッチハイクした、キャンピングカーを運転する二人のスペイン人の一人だ。→「第5回 ヒッチハイクが起こす奇跡

キャンピングカーの相方のラウルがスペインからはるばる3Lのオリーブオイルを持って我が家に会いに来てくれたのは去年の8月。そして今年ファンルーに会えるとは、なんだか不思議な縁だ。→「(番外編)ヒッチハイクと私〜スペインの風〜


ファンルーは数年前から南アフリカのケープタウンでソーラーパネルの仕事をしている。同じ国で暮らす彼とたまに電話で話すものの、私の住むウムタタからケープタウンまでバスで20時間もかかるので、なかなか会いに行けずにいた。

彼の気軽な誘いから、計画を立てた結果、今回私たちはガーデンルートという中間地点にある南アフリカの海岸沿いで再会の約束をした。最後に彼に会ったのは2007年、あのヒッチハイクの旅の途中に、彼が東アフリカのタンザニアでボランティアをしていた時に訪れてぶりだった。実に10年越しの再会である。

サナがその数日前に怪我をして、残念ながら今回は一緒に来ることができず、仕事の都合がつかない夫とサナは留守番することに。3歳のンペポを連れて旅に出た。

バスに乗ること14時間。私とンペポは真夜中にパテンブルグと呼ばれる小さな町にに着いた。そこにファンルーが車で迎えに来てくれた。10年ぶりのファンルー。それなりにお互い年を取っただろうが、そこには全然変わらない笑顔があった。私たちはハグで再会を喜び、小さなンペポを紹介し、近況を報告しあった。

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そこから森の中へと車を走らせた場所に「Nature’s Valley」はあった。そこで以前から泊まってみたかった「ワイルド スピリット」というバックパッカーズ(宿)をファンルーが予約してくれていた。なんという偶然だろう。

翌日私たちは宿から1時間弱で歩いていける滝へ向かった。森を抜けるとその滝は姿を現した。乾季なので水量は少ないものの、透きとおって冷んやりした水と、南アフリカ特有の岩肌が美しい。

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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

(番外編)あの日ガーナで私の胸を突いた一つの質問

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)



(番外編) ヒッチハイクと私の旅
~あの日ガーナで私の胸を突いた一つの質問~



あの日、照りつける太陽に身を焦がしながら、私たちは西アフリカを旅していた。ヒッチハイクで赤道にほど近いガーナへの国境を越えたばかりの町、「ワ」で一休みすることにした。サコと名乗る男と出逢い、彼は宿を紹介してくれ、地元の美味しい料理などを教えてくれた。彼は以前ボランティアで来ていたオランダ人と友達だったようで、とても親切にもてなしてくれた。

翌朝、この日もヒッチハイクでクマシというガーナ第二の都市へ向かおうとしていた私に、サコはこんな疑問を投げかけてきたのだ。

サコ「なんのためにヒッチハイクをしてるんだ? 君はアフリカ人よりお金を持っているだろう? アフリカは貧しいんだ。ヒッチハイクするということは、誰かを犠牲にしていることじゃないのかな? 君たちが支払うべきお金で生きていっている人だっているはずだ。その人たちはどうなるんだ?
困っている人たちを助ける、それが僕たちの文化だから、君がヒッチハイクをすれば成功するだろう。でも彼らは君を理解しているわけではない。ただ助けたいだけなんだ。アフリカの貧しい経済を見てきただろう?公共の交通機関にお金を払う。それは最低ラインの援助じゃないのか?お金がないなら旅をしない、それが常識じゃないのか?君にそういうことを考えて欲しいんだ。」

突然の質問だった。この後、私は旅しながらしばらくの間、悶々とした日々を送った。そして旅の途中のある日の日記が、今も私の手元に残っている。それをここに示そうと思う。


2007年4月某日  〜旅の日記より〜

「ヒッチハイクとは何だろう」私はそこから考えることにした。

ヒッチハイクは同じ方向へ行く車を止め、空いてる席に乗せてもらうこと。私は無料で走ってもらっている。これまでに中央アジア、トルコ、ヨーロッパ、そしてアフリカとヒッチハイクで旅をしてきた。もちろん最大の理由としては「交通費節約」のためである。旅の中で「宿代」と「交通費」がかなりの割合で出費となる。

そしてヒッチハイクをすれば出逢いがある。これは否めない。私は旅で地元の人との出逢いを重視している。「友達」だと、時には「家族」のような人たちとこれまで何度となく出逢ってきた。そしてその人たちの80%はヒッチハイクやその人たちの紹介で出逢っている。

サコの言葉は何か生き物のように、私の心に住み着き、長い時間をかけて多くのことを私に考えさせる。サコのいう言葉は理解できる。サコがその言葉を私に伝えた後、私は困ってしまって何も答えることができなかった。彼の言葉は正義に満ちていて、眩しく、この西アフリカの貧しさを切実に語っていた。

ただ私はヒッチハイクが好きなんだ。やっぱりそれが私の想いだった。サコはヒッチハイクを旅の手段としている人に初めて出逢った。先進国と呼ばれる国から来ている人間が、ヒッチハイクをしていることを心底不思議に思ったのだろう。怒りさえ覚えたかもしれない。

そして私はこの旅でこれまで1年間ヒッチハイクをして、初めてサコのようなストレートにヒッチハイクに対して気持ちを伝えてくれる人と出逢った。そして言葉に詰まった。ただ今まで出逢い、ヒッチハイクで拾ってくれた人達の中に同じ気持ちの人がいなかったと誰が言えるだろう。

ヨーロッパなどの先進国はさておき、手を差し伸べてくれたアフリカ人の多くがそう思ったかもしれない。私の心の中は、自分の旅のスタイルへ対しての罪悪感でいっぱいになった。そして時間は経過する。ガーナの後、私は自分の中で答えが出るまでヒッチハイクを封印していた。ゆっくりじっくり急がずに考えたかった。そして考えたその間、ヒッチハイクをして旅をしていた時とは全く違う公共の交通機関と宿の旅を体験する。だけど心の中で何度も思ったことは「私はヒッチハイクが好き」だということだった。

当然人の優しさの上に成り立つヒッチハイク。貧しいのに人に優しくできる人達。そこからたくさん得るものがある。ただそこから見えることは、人は利益で動く生き物じゃない、ということ。そして私もそうなりたいと思う。

一台の車を捕まえるのに、4、5時間は待つ。時には1日以上かかる。しかも危険がないか見極めなければならない。私は一種の修行というような気持ちで行っている。

ヒッチハイクを通して民泊を何度もした。アフリカの家族は大家族なのが基本。そしてその家族の中で誰一人として嫌な顔をする人はいなくて、それどころか老人や子供、すべての人が大歓迎してくれる。今はその優しさと大きさに甘えることしかできないけど…。

そして私は「ヒッチハイクが好きなんです」と書き、サコに手紙を送った。

日記はここで終わっている。

あの手紙は彼に届いただろうか。
彼は私の言葉をどう受け止めただろうか。

サコに出逢えてよかった。人生に決まった答えなんてない。自分がやってることに、自分で納得していくしかない。でもその考えるきっかけをくれる人、それが例え酷な質問だったとしても、そんな人たちは貴重な存在であり、人生に欠かせない存在となるのだ。



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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第1回 ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)



第1回   きっかけは・・・


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これまでにたくさんの記事をブログで掲載してきたが、ヒッチハイクについては実は詳しく触れたことがなかった。
いずれ書こう書こうと思いながらも、書くのならば、あの時感じていたことが、言葉できちんと伝わるように書きたいと思っていたのだ。それらの体験は本当に不思議で、なかなか簡単には説明ができないことばかりだった。

私がヒッチハイクを始めたのは、中央アジアのタジキスタンという国だった。2006年に下関の国際港から出国し、ユーラシア大陸を横断してアフリカを目指す旅の途中。首都のビシュケクの宿で出会った一人の日本人女性がきっかけだった。

彼女は世界中を旅するバックパッカーであった。南米、アフリカ、ヨーロッパ、いろんな国を旅しているという。仕事の拠点はイタリア。日本にはずーっと帰ってないとか。

中央アジアの国々はビザが必要なので、便利なビシュケクで周辺の国のビザを申請するのにしばらく滞在する必要があった。その間、私は彼女からこれまで旅したいろんな国の話を聞いたのだ。

ナミビアの砂漠でヒッチハイクをしていて、セスナをヒッチハイクしたこと。
コンゴを旅してた時に訪れた村で夕食に出されたのが猿の丸焼きだった話。
カメルーンでピグミーに出会った話・・・。
イタリアでメイクアップアーティストとして暮らしていること。
ヒッチハイクと民泊の旅で極端に低い予算で旅していること。

彼女の旅の話は突拍子もないことばっかりではあったが、彼女が嘘をついているようには見えなかった。そして私はその自由な旅の仕方に刺激を受けていた。

全てのビザの準備ができると、私はしばらくの間、宿でお世話になった人たちにお礼を言い、夜行バスで一人ビシュケクを去った。

夜のバスの中、私はあのヒッチハイクで旅する彼女のことを考えていた。窓の外は何も見えない。私は目を閉じ、彼女の言葉を思い返していた。

果たして女一人でヒッチハイクの旅をしても本当に大丈夫なのだろうか・・・。

《次回に続く》



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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第2回 ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)


第2回   初めての女一人ヒッチハイク

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無料で移動する。
ヒッチハイク。

旅で一番高いのは交通費と宿代だ。
その二つさえ抑えられば、同じ予算でもっとたくさんの国が旅できる。

けれど、女一人でヒッチハイクの旅をしても本当に大丈夫なのだろうか。

私の答えが早かったのか、偶然の出来事が早かったのか、気づけば私はヒッチハイクをしていた。中央アジアでは交通機関が薄い場所も多く、なかなか来ないバスを待っていると親切なタジク人がトラックに乗せてくれたのだ。

渓谷と山脈が美しいタジキスタンの絶景を、ロシア製の大きなトラックに乗って進む。車内は二人乗りの設定ではあるが、私を含め8人が乗っていた。上り坂は時速20kmで峠を目指す。
ぎゅうぎゅうの車内から窓の外を眺めると、峠はすぐそこ、空に手が届きそうな程に近かった。渓谷や峠、岩がむき出しになった荒々しいその山々と真っ青に晴れた空があまりにも美しくて、時速20kmも気にならなかった。

移動時間5時間。私の拙いロシア語もタジク人のおじさんたちには大ウケで目的地までの楽しい旅となった。
こうして自分の意思というよりも、自然の流れで私のヒッチハイクの旅は始まったのだ。

いや、もしかするとヒッチハイクを望んでいて、その希望が叶っただけなのかもしれない。旅とはそういういうものだ。


《次回に続く》



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