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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第1回 ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)



第1回   きっかけは・・・


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これまでにたくさんの記事をブログで掲載してきたが、ヒッチハイクについては実は詳しく触れたことがなかった。
いずれ書こう書こうと思いながらも、書くのならば、あの時感じていたことが、言葉できちんと伝わるように書きたいと思っていたのだ。それらの体験は本当に不思議で、なかなか簡単には説明ができないことばかりだった。

私がヒッチハイクを始めたのは、中央アジアのタジキスタンという国だった。2006年に下関の国際港から出国し、ユーラシア大陸を横断してアフリカを目指す旅の途中。首都のビシュケクの宿で出会った一人の日本人女性がきっかけだった。

彼女は世界中を旅するバックパッカーであった。南米、アフリカ、ヨーロッパ、いろんな国を旅しているという。仕事の拠点はイタリア。日本にはずーっと帰ってないとか。

中央アジアの国々はビザが必要なので、便利なビシュケクで周辺の国のビザを申請するのにしばらく滞在する必要があった。その間、私は彼女からこれまで旅したいろんな国の話を聞いたのだ。

ナミビアの砂漠でヒッチハイクをしていて、セスナをヒッチハイクしたこと。
コンゴを旅してた時に訪れた村で夕食に出されたのが猿の丸焼きだった話。
カメルーンでピグミーに出会った話・・・。
イタリアでメイクアップアーティストとして暮らしていること。
ヒッチハイクと民泊の旅で極端に低い予算で旅していること。

彼女の旅の話は突拍子もないことばっかりではあったが、彼女が嘘をついているようには見えなかった。そして私はその自由な旅の仕方に刺激を受けていた。

全てのビザの準備ができると、私はしばらくの間、宿でお世話になった人たちにお礼を言い、夜行バスで一人ビシュケクを去った。

夜のバスの中、私はあのヒッチハイクで旅する彼女のことを考えていた。窓の外は何も見えない。私は目を閉じ、彼女の言葉を思い返していた。

果たして女一人でヒッチハイクの旅をしても本当に大丈夫なのだろうか・・・。

《次回に続く》





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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第2回 ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
「第5回 ヒッチハイクが引き起こす奇跡
「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
「第10回 ヒッチハイクと私の旅(最終回)
「番外編 ヒッチハイクと私の旅(番外編〜スペインの風〜)


第2回   初めての女一人ヒッチハイク

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無料で移動する。
ヒッチハイク。

旅で一番高いのは交通費と宿代だ。
その二つさえ抑えられば、同じ予算でもっとたくさんの国が旅できる。

けれど、女一人でヒッチハイクの旅をしても本当に大丈夫なのだろうか。

私の答えが早かったのか、偶然の出来事が早かったのか、気づけば私はヒッチハイクをしていた。中央アジアでは交通機関が薄い場所も多く、なかなか来ないバスを待っていると親切なタジク人がトラックに乗せてくれたのだ。

渓谷と山脈が美しいタジキスタンの絶景を、ロシア製の大きなトラックに乗って進む。車内は二人乗りの設定ではあるが、私を含め8人が乗っていた。上り坂は時速20kmで峠を目指す。
ぎゅうぎゅうの車内から窓の外を眺めると、峠はすぐそこ、空に手が届きそうな程に近かった。渓谷や峠、岩がむき出しになった荒々しいその山々と真っ青に晴れた空があまりにも美しくて、時速20kmも気にならなかった。

移動時間5時間。私の拙いロシア語もタジク人のおじさんたちには大ウケで目的地までの楽しい旅となった。
こうして自分の意思というよりも、自然の流れで私のヒッチハイクの旅は始まったのだ。

いや、もしかするとヒッチハイクを望んでいて、その希望が叶っただけなのかもしれない。旅とはそういういうものだ。


《次回に続く》





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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第3回 ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
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第3回   ヒッチハイクで危険を回避する方法

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その中央アジアの旅から私はヒッチハイクにはまっていった。世界中どこでも拾ってくれる人はいるものだ。それだけ世界中の人々は優しく、旅人に手を差し伸べてくれる。

ヒッチハイクの旅をしていたと言うと、昔の猿岩石のようにヒッチハイクのみで旅していたと誤解されるが、私はバスを使うことも、乗り合いタクシーを使うことも、船を使うこともあった。バスをヒッチハイクするというケースもあった。

乗せてくれたドライバー達は一人旅をするアジア人の女をどう思ったのだろう。
道端で親指を凛々しく挙げるその女。
しかも私はしっかりした体格ではなく、ひょろっとした感じなのだ。
さらにそのアジア人の女の最終目的地はアフリカだと言う。
しかもお金がないから、タダで乗せてください、だと?

私は彼らの常識を超えていただろう。
でも私は何か大きな力に動かされるままに、親指を挙げ旅を続けた。

最初は感覚が掴めず正直危ない思いもした。それでも多くの場合は何かある前は必ず「知らせ」があって、その知らせを感じ取ることができるようになってきた。物事が起きた後に「あぁ、あれが知らせだったんだ。」と後の祭りのこともあるが、そうやって知らせを感じ取ることができるようになっていった。

ヒッチハイクにはやっぱりドライバーを見る目が必要となる。特に女一人のヒッチハイクはこの力が問われる。変な奴は変なのだ。第一印象の中に見え隠れするパーソナリティを素早く見とることが必要とされた。同乗者の中に女性がいると安心だ。

次に危険の度合いを減らすために、夜のヒッチハイクはなるべく避けた。昼間は普通の男でも夜になるとその顔が変わることは十分にあり得る。
そしてヒッチハイクをする時はズボンまたは、ロングスカートを履き、肌の露出は避けた。

話す内容も性的な話を持ち出す人は要注意だった。そんな時は話題をガラリと変え、神様の話や政治の話をしたものだった。
この地球に住む人間の多数はキリスト教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、何かしらの神様を信じているのだ。神様の話をすれば、多少なりとも道徳的な話になる。そして私自身も旅の途中から神様のような何か不思議な力を感じ初めていたのも事実だった。

次に危険が起きてしまったら。
危険というのは瞬きをした瞬間に訪れる場合は少なく、大抵は前触れがある。その前触れが始まった時に、全ての荷物が身近にあることを確認して、車から荷物ごと転がり落ちるくらいの覚悟を持つことだ。そしてスカイダイビング級の見事なダイヴをキメる。
あとは一目散に逃げるのみ!
ちなみに私のダイヴした話はまた別の機会に書くとしよう。

後は、正直言って私の力ではない。
時間や場所に縛られることをやめた時、旅人は何か大きな力によって動かされる。その流れに乗っている時はたくさんの挑戦を叩きつけられるものの、命だけは絶対的に守られているような、そんな確信がなぜか私の中にはあったのだ。


《次回に続く》





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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第4回ヒッチハイクの旅

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《ヒッチハイクと私の旅 全10回+番外編》
第1回 きっかけは・・・
「第2回 初めての女一人ヒッチハイク
「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
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「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
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第4回    時の感覚を身につける

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始めは旅費を節約できるという理由で始めたヒッチハイクであったが、途中からはそれだけの理由ではなかった。

ヒッチハイクというのは、非常に時間のかかるものだ。通常半日で着くのが3日かかることもある。待っても待っても車が見つからず、そこから一歩も動けないまま知り合った人の家で一泊させてもらうこともあった。
お金はないけれど、時間が十分にあった私は泊めていただけるならば、暮らしが見れるチャンスだと喜んだものだ。先に進むことが旅ではない。一秒一秒が旅の瞬間なのだ。到着することが目的でもない。

ヒッチハイクが公共の交通機関と全く違うことは、いつ着くのかが全く想像できないという点だろう。本当は目的地まで直行の車をヒッチハイクしたいものだが、そう簡単にはいかない。

次の町まで行く車を見つけては、距離が進まず、眠る場所の心配をすることは多々あった。それでも宿というのはどんな小さな町にもあるし、誰かがどこからか手を差し伸べてくれるのだ。その手の温かさを、私は行く国々で感じた。

ヒッチハイクの旅を続けると、「時間」に縛られることがなくなる。時計を気にすることが極端に減ったのだ。時間は太陽の動きと腹時計で十分になってくる。
それよりも自然の起こすタイミングのようなものに敏感になっていった。

そのタイミングは「人との出逢い」無くして語れない。旅した時に出逢った人間というのは出逢うべくして出逢った気がしてならないのだ。彼らはいつも旅の案内人のように絶妙なタイミングで現れる。そして私を導いてくれるのだ。
そんな出逢いに導かれ、たくさんのお金では買えない経験をした。その経験を通して、いろんなことを考えさせられ、今の私がある。

そういうことを経験すると「時間通り」というのが退屈になってしまう。

こんなことを言ってしまうと、日本社会が成り立たないのだが、私は時間というのはもっと自由であっていいものだと思う。細やかに時間割通りの日々を過ごすのは、自分の感覚を制限しているような気がしてならない。旅は私に「時の感覚」を気づかせてくれたのだ。


《次回に続く》





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ヒッチハイクの旅(全10回+番外編)

第5回ヒッチハイクの旅

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「第3回 ヒッチハイクで危険を回避する方法
「第4回 時の感覚を身につける
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「第6回 キャンピングカーをヒッチハイク
「第7回 旅は道連れヒッチハイク
「第8回 女二人のヒッチハイク
「第9回 危ないヒッチハイク体験記
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第5回    ヒッチハイクが引き起こす奇跡

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この2006年の旅を振り返ると、もう10年も経っていることに驚く。あの旅は私の生き方を考え直す、とても重要な経験となった。その旅の延長線で生きる私は、今もあの旅が終わったことだと感じていないのかもしれない。

公共の交通機関と宿の旅は孤独を感じることが多かった。
そんな日が続くと、旅人が集うような宿が恋しくなったりしたものだ。

ヒッチハイクを始めてからは、孤独を感じる時間が少なくなった。
ドライバーとの出逢い、その家族、その友人・・・。宿を探す必要がない時も多かった。世界各国のおいしい家庭料理をたんまりご馳走になった。少しの間仕事の手伝いをしながら泊めてもらったり、一緒に生活してバティックの作り方を教えてもらったりすることもあった。

あれは旧ユーゴスラビアとその近辺の国々を旅していた時。日が西に傾いていた頃、アルバニアの首都ティラネへ向かっていた私は焦る気持ちでヒッチハイクをしていた。あと少し試してみてダメだったら宿を探さなければならなかった。

舗装されていないその道に一台の砂埃をたっぷりかぶった車が止まった。
窓を開けた男性は「どこへ行くんだ?」と聞く。

「ティラネに行きたいの!」と言う私。
すると彼は満面の笑みで「僕たちもティラネに行くんだ。乗ってきな。」と言った。

その車の後部座席のドアを開くと、中は思わぬ構造になっていた。
コーナーにお見合い型の長椅子のソファがあり、真ん中にテーブルがある。
入った正面には冷蔵庫とキッチンがあった。

なんと、それはちょっと旧式のキャンピングカーだったのだ!

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彼らは南部ヨーロッパをキャンピングカーで旅する二人のスペイン人だった。ティラネにいる友人宅に向かうという。図々しくも、私も一緒にお世話になることになった。


私たちはアルバニアを、彼らの友人も含む四人で一緒に旅した。

特に地中海の穏やかで暖かなビーチは最高に美しく、またアルバニアの人たちは西欧に比べて文化が今も生きていて、街並みの雰囲気もとても美しかった。
ビーチの砂の上に2つマットレスを敷き、その上に寝袋を置いて4人で眠った。月が海に反射して輝く静かな夜だった。寄せては返す波の音が子守唄のように聞こえた。
そのビーチはとても美しくて、彼らと過ごすのがとっても居心地よくて、私は目を閉じて、寝袋の中でしばらく眠らずにその幸福を噛み締めていた。


10日はいただろうか。ある日彼らが私に「もし同じルートで旅できるなら一緒に行こう。僕たちはギリシャとイタリアを通って、スペインまで戻るよ。お金はガソリン代と食費をみんなでシェアする分だけでいいんだ。」と言った。
もちろん私にとってそんな嬉しい話はない。私は飛び上がって喜んだ。


《次回に続く》





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