
ブルングラを出発した私たちは、「ルバンジ」という海岸沿いの宿を目指して歩いた。この宿で私はソウルメイトのマタジーと会うことになっていた。彼女は薬草などを扱いシャーマンの修行をしている。
彼女は私が日本へ行く前に、彼女の暮らすホクスバックからトランスカイまで会いに来てくれたのだ。私たちがブルングラへ発つまでウムタタの我が家に泊まっていたマタジーと別れ、この宿で落ち合うことになっていた。
《マタジーの記事》
南アの神秘の森へ スーパームーンの旅《上編》
南アの神秘の森へ スーパームーンの旅《下編》

ジュッダと子供たちと私は、海岸沿いやコサ族の村々を歩き、ルバンジを目指す。
海岸を歩いていると一本の羽根が落ちていた。何かに惹きつけられたように、その羽根を拾い着いた砂を払う。大きな羽根。鷹かトンビの羽根だろう・・・。
私はその羽根をサナにあげた。その瞬間サナが私の目を見て、「これはマタジーへのプレゼントだよ」と言った。そして彼は自分の髪に刺し、スイスイと歩き始めたのである。私は何も言わずに彼の後を歩き出した。

(サナの頭には鷹の羽根。)
ルバンジに着いた時、マタジーは笑顔で私たちを迎えてくれた。ルバンジの宿はオーナーの二人が手作りで作った宿で、今も建設中であった。それでも十分素敵な宿であった。

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トランスカイ地方にはワイルドコーストという、南アフリカの秘境だと言われている、景色の美しい海岸線がある。その海岸線沿いをセコの弟でもあり、私の気の知れた友人でもあるジュッダと子供二人を連れてハイキングの旅に出た。ジュッダが日本に暮らしを移す私たちのために、プレゼントしてくれた旅となった。
子供たちもジュッダが大好きなので、大喜び。
-------コサ族豆知識------
コサ族ではお父さんの兄弟はみんな”お父さん”である。厳密に言えばお父さんのお兄さんはTato mdala(大きなお父さん)で弟はTato mncici(小さいお父さん)となり、兄弟の子供は自分の子供だと捉えている。その逆にお母さんの姉妹は全てお母さんとなる。
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その中でも僻地なのがブルングラ村。私たちの旅はここから始まった。ヒッチハイクと乗合タクシーで私の住むウムタタからブルングラ村を目指す。(曜日によっては観光客用のシャトルが出ている)

(乗合タクシーは人と荷物でぎゅーぎゅーすぎて、お尻がカチコチになる。かなりのタフな体験だ。この交通機関で行くと宿が一泊タダになる。)
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今年の日本の冬はとっても寒かったと聞く。寒いのが苦手な私は、話を聞いただけで、肩が縮こまる。
皆様、風邪などひいておりませんか。
南アフリカといえば、今は真夏。トランスカイは内陸気候なので寒暖の差が激しく、真夏でも朝晩は涼しい。

(庭に咲くマリーゴールド)
年が変わると昨年の夏、日本に滞在したのが随分と前のように感じる。
2017年の日本滞在記を2018年になって執筆するという、なんともアフリカンタイムなことである。
昨年の7週間の日本滞在、たくさんの人と再会し、いろんな人と出逢うチャンスを得ることができた。
帰国ツアーの一環であった参加型トークライブは「豊かな暮らしを考える」というテーマで行ったので、たくさんの方々といろんな考え方をシェアすることができた。それは私が旅を始めて、そしてアフリカに移住して、日常的に意識しているテーマでもある。それを集まってくれた方々とシェアできたら、との願いが込められていた。
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日本滞在記 第2回: 〜地球のかけらで作るワークショップ〜
《バックナンバー》
・日本滞在記 第1回:〜家族〜 →リンク

今回の帰国の前に、計画している試みがあった。トランスカイの我が家でノートに思いついたことを走り書きして、その計画をどんどん形にしていく。
私が今回の日本滞在でやりたいシソドワの活動は4つ。
「ワークショップ」、「参加型トークライブ」、「作品展」・・・そして「旅」。
・シソドワオリジナルの天然素材ビーズで作るワークショップ
・本当の豊かさを考える。参加型トークライブ
・シソドワ作品展
・地球の上でのんりび暮らそうよツアー
こんな感じかな。
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トランスカイの空気は相変わらず濃厚だ。空に手が届きそうになる。私は7週間ぶりに日本からトランスカイに戻ってきた。
トランスカイのウムタタ空港には、飛行機は私たちが乗ってきたそれしかなかった。それほど小さな空港でも、ないよりはマシである。十数人の乗客と共に小さな旅客機から階段で降り、トランスカイの空気を胸いっぱい吸い込む。たった数週間しか離れてなかったはずなのに、不思議と、とても懐かしい気持ちになる。
荷物を受け取り、到着出口から出ると、嬉しそうに現れた夫セコとサナとンペポ。子供たちのはにかんだ笑顔に胸が締め付けられる。私たちは笑顔のままギュ〜〜っと固く抱きしめ合う。7週間、どれだけ彼らが私のことを恋しく思っていてくれたのかを感じ、心があったかくなる。私も同じように彼らのことが恋しかった。
実家を出発してから、移動しっぱなしの2日間。ようやくトランスカイに到着だ。家に着いて、お土産を広げ、日本の話に花がさく。家族みんなが日本の話に興味津々だ。セコが愛情を込めて作ってくれた夕食を食べてお腹がいっぱいになると、一気に眠気に襲われ、子供達と共に眠りについた。7週間ぶりの我が家。気持ちのいい眠り。
翌朝、不思議な気持ちで目が覚める。なんだか日本にいたことが夢のようなのだ。私は部屋の天井を見上げて、ぼーっと想いを巡らす。母の手料理、小倉の騒々しい銀天街、日本で会った人たちの顔・・・。つい数日前までの出来事が遥か昔のことのようだ。外からは「コッケコッコー」と鶏の鳴き声が響いている。
時間の流れ、空気、人、文化、全てがあまりにも違いすぎて、この地球に今この瞬間、日本が存在していることが、不思議に思えてくる。あの湿度をたっぷりと含んだ日本の夏。蝉の声。目まぐるしく過ぎていく時間。そして昨日のように、そこにいた私を思うと、なんだか現実味がない。いや、それは本当に夢のような7週間であったのだ。

(写真:天草へ家族旅行)
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