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日々のこと・日々の想い

「新しい時代は私たちの手の中に!」パンデミックの中に見出す希望

緊急事態宣言が出て、ますます自粛一色となってきた。皆さん、いかがお過ごしですか?
まず最初に、最前線でこのパンデミックの中、私たちのために医療現場で働いている方々に、感謝を伝えます。勇敢なあなた方の奉仕なしでは、私たちはこのパンデミックに立ち向かえません。本当に心から尊敬の念を。ありがとうございます。
そしてこの新型コロナウイルスでお亡くなりになった方々とそのご家族の方々に、お悔やみ申し上げます。 合掌。


前回書いた日記「勝手にロックダウン」から1ヶ月が経った。買い物はまとめて一週間に一度。我が家は持病持ちの母と同じ敷地内に暮らしているので、かなり気をつけている。でも母と一緒に暮らしていなかったとしても、同じくらい気をつけていただろう。
自主ロックダウンを始めた当初は、ウイルスの持つエネルギーに怯えていた。すごい速度で広がっていく様子をネットでチェックしない日はなかった。

だが、自主ロックダウン状態にしたことで、ほぼ隔離状態となると、感染の心配はぐっと減り、メディアの感染者情報もあまりチェックしなくなった。すると、心の中から平安が生まれた。私の世界はこの家と庭。あとは人気の少ない山へ散歩に行ったり、散歩したり。

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日々のこと・日々の想い

「勝手にロックダウン」。自分の心の声を信じて、今を生き抜こう!

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つい3ヶ月前まで、誰がこんな状況を想像できただろうか?世界は今、異様な空気に包まれている。

これまでも必要最小限に外出は控えていたものの、私は今日から自ら「勝手にロックダウン」を始めようと思う。

実は今年に入ってアルバイトを始めていた。帰国後、初めて日本で雇用される経験だ。アルバイトとはいえ、オフィス系だったので、ハードルは超高かった。ちょっとこれはもう向いてないかも、、、と挫けかけたその日に、「産休で休んでいた人が戻ってくるので、大変申し訳ないのですが、、、」と言われた。なんというタイミングなのだろう。神様に感謝するしかない。

そのバイトが今日で終わった。自転車出勤だったものの、この混乱の時期に街の中心地に週3日行くことはリスクだと感じていた。そんなことを言っていたら、一昨日、北九州の病院でクラスターが発見され、北九州に一気に緊張が走る。





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日々のこと・日々の想い

「大丈夫。口笛吹いて、大きな流れに身を任せよう」〜アフリカへと続く空を見上げて〜

南アフリカのトランスカイで暮らしていた時、私はその空の下に自分の生きている場所だけを見ていなかった。
その空の下に、旅してきた場所が存在していること、日本があることを日常的に意識していた。その海の向こうにまた違う地球が広がっていることを意識していた。限られたネット環境であり、テレビもない毎日。南アフリカの秘境と呼ばれる場所だったにも関わらず、私は今よりずっと地球を感覚で感じていたのだ。

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(私の村からの景色)

日本での暮らしも2年目になると、アフリカで暮らしていた頃の自分との意識のズレを感じるようになってくる。忙しい日々に追われ、ワクワクドキドキと、いろんなことを楽しくこなしていく反面、自分の核なる部分と向き合う時間というのが格段に少なくなってきた。そして小さなことに心を奪われている自分と向き合う時間もないまま、楽しくも忙しい時間を過ごしてきたように思う。





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日々のこと・日々の想い

「与えること」と「受け取ること」の深い関係性。持ってけ泥棒市が起こした奇跡。

相変わらずのシンプルな暮らしの中で、私は日々暮らしの中で起こる奇跡に感動している。

2018年3月、南アフリカから北九州に戻り、実家で暮らし始めた私は、実家の向かいに建つ父が倉庫として使っていた古い家の整理を始めた。漠然とそこで暮らしたいという気持ちはあったけど、古いこの家は倉庫としてはしっかりした作りだが、もので溢れていて、全貌がわからないと言った感じだった。

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まず最初に、父の仕事の業務用の冷蔵庫などは、専門業社に引き取られて、リユースされるようだった。それで一部屋くらいはすっきりした。

その後リサイクルもできそうにない物をゴミとしてまとめた。そしてそのゴミを捨てに、街の大きなゴミ処理場まで行った。重さ単位で料金を計算してゴミを引き取ってくれるのだが、そのゴミ処理する場所には直接自分の手でゴミを投げ込んでいかなければならなかった。大きな処理場の機械の中に放り投げられたゴミは、その場で割れたり、形を変えたり・・・。そのたびに、大きな音が鳴り響くのだ。
突然、私は自分のしていることが怖くなった。ゴミをどんどん放り投げている自分。形あるものを壊している自分。

なんだかアフリカの暮らしが嘘のようだ。

それから私は整理しきれないものについて、考えるようになった。物に溢れているこの国だけど、人と人をつなくやり方でやれば、きっと何か起こるはずだ。






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日々のこと・日々の想い

いつか私も土に還る「地球と循環できる暮らし」

最近私は南アフリカの話を、小学校や市民会館などで話す機会が増えてきた。先日も古賀まで行ってお話しをさせてもらった。話の最後に参加者の方に質問を受けた。そのお元気な年配の男性は「不便であろうアフリカで、なぜ暮らそうと思ったのですか?医療などの心配はないのですか?」というような質問を投げかけてくれた。

私は昭和54年生まれ、電気が当たり前のように使える時代に生まれてきた。今ほどではないが、生まれてきた時から便利で快適な暮らしだった。なので、一番始めに旅行したタイで、こんなに不便な暮らしをしている人たちがいるんだ、とカルチャーショックだった。実際、便利な暮らしを私は当たり前と思っていたし、ない暮らしと比べることもなかったので、さほど便利とも感じず、逆に失うことが怖かった。

いろんな国を旅してきたが、便利さでいうと、我が国日本は格段の良さを持っているだろう。日本人ほど便利さを追求する民族はいないのではないかと思うほどだ。そんな日本人が海外を旅すると、オーストラリアや、ヨーロッパなどの国々でさえ、不便と感じてしまうことがある。そんな日本で育った私は、不便さは否定的なことだと思っていたのだ。

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