2015年 日本滞在記④ - sisodwa
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2015年 日本滞在記④

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今回で最終回となる日本滞在記。日本滞在中、私はキャンプ道具と、着替え、そしてシソドワの作品を車に詰め込み、3週間サナとンペポと一緒に山口・島根・広島の旅に出た。
ここの山や浜に住む友人を訪れに。計画なんて何もなく、ただ飛び込むだけ。それが旅。

イベント出店でおいしいベジタリアンメニューを作ってくれるcafe Kukuluこと真耶ちゃん。
出店や料理の先生をしている彼女の料理の美味しいこと。

そういえば2012年、私が初めてこの地域へ来るようになったのは島根のパサール満月海岸という自給自足を目指す人たちが暮らすところへ足を運んだことからだった。当時は幼いサナと私の二人旅。駅まで彼女が車で迎えに来てくれた。その不思議な縁から今まで彼女はいつも案内人のように私をいつも誘い入れてくれる。


帰国の度に気軽に私をこの地に呼んでくれる彼女。2年ぶりに会う彼女は女性らしさを増したようだった。数ヶ月前に引っ越したという島根県六日市の彼女の家を訪れる。彼女の家のすぐ裏には竹林や山があり、綺麗な川が流れる。

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引っ越した彼女の家は昔の大工さんが建てた古いいいお家。そこを彼女がDIYで棚や壁、ペンキ塗りなどをし、とっても素敵な空間を作っている。
ここ最近は私もペンキ塗りやタイル貼りなど、アフリカの家のリフォームも挑戦をしてきた。
30歳を超えて金づちやノコギリをまともに持てるようになった私には、真耶ちゃんがこの古く素敵な家に彼女のテイストを DIY(日曜大工)で雰囲気を作り出しているのが、うれしい刺激となる。

イベント出店や料理の先生をする彼女にとって、キッチンは最も大切な場所に違いない。
無動作に垂れ下がったドライフラワー、瓶詰めの天然スパイス。見ているだけで心がワクワクしてくる。

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彼女はベジタリアン(菜食主義)。日本でベジタリアンというと不思議に思う人もいると思う。ベジタリアンになる理由というのは実に様々だと思うが、肉や魚が体に合わない人、生肉業界に疑問を持っている人、修行中の人、宗教上、健康のためなどが一般的だ。ベジタリアンも一種類ではなく、白身の肉は食べる人(魚や鶏肉、卵など)、乳製品は食べる人、かと思えばヴィーガンと呼ばれる動物性のものは一切摂らない人もいる。
ベジタリアンの暮らしというのは工夫に溢れている。もちろんダシも動物性ではとらないので、昆布や玉ねぎ、キノコ類などだ。メインディッシュも車麩や豆、豆腐類など上質なタンパク質を摂る。

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上の写真はカボチャのコロッケの仕込み。カボチャの自然の甘さと衣のサクサクがたまらない。しかも動物性のものが入ってないなんて信じられないようなボニューム。化学調味料や出来合いのものは一切使わないので、自然の優しい味だ。

アフリカでは日本と同じでベジタリアンは一般的ではない。どっちかというと欧米的な考え方の人が多いのも事実だ。そしてアフリカ人やカラード(混血)の人にはラスタファリアンという修行僧たちにベジタリアンの人が多い。お坊さんの精進料理にも似ている。

私は肉や魚を毎日は食べないけどベジタリアンではない。夫もラスタではあるけど、肉を食べる。それは家畜を育てるアフリカ文化と関係している。日本の一般家庭と少し違うのは、我が家の食卓に並ぶ肉は基本的にトランスカイの大自然で育てた肉を屠っていただくということを心がけていること。それがコサ文化であり、命へ対する尊敬の念であり、自然と循環することでもある。

そしてそんなアフリカの食生活にいつも知恵をくれるのは、日本に帰国した時に会うこの地の人々の生活。真耶ちゃんをはじめとするここの仲間は、みんな昔ながらの手作りの食材や自然な食べ物を食べている。旅を終え、大和民族のルーツの食べ物をもっともっと知りたくなった。そんな私に彼らはあらゆる知恵を惜しみなく見せてくれるのだ。

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今の世の中は便利ではあるが、利益が優先され食べ物がどんどん不自然なものになっている。スーパーマーケットへ行けば、加工食品で溢れかえっている。豆腐、味噌、醤油なども伝統的な手法だと安く大量生産できないという理由で科学調味料が使われていたり、不自然な加工をされたものが多い。
なんでも手軽に手に入る世の中。コンビニやインターネットで24時間買い物ができる時代。豊かだと信じられてきた現代社会。けれど今までの日本民族の歴史の中でもこれだけ食が危機にさらされている時代はないというのが実際のところではないのか。

戦前まで長い歴史をかけて日本の食卓というのは自然の食べ物、文化の食べ物、手作りの食べ物を大切にしてきた。
私たちは食べ物を作ることにたっぷりと時間と手間をかけてきたのだ。各家庭では味噌や漬物などの発酵食品を自分たちで作ってきた。そうやって大切に手間暇かけて作る食べ物というのは、想像を絶するパワーが秘められている。だから昔の人は生活習慣病などと無縁だったし、アレルギー、アトピー、喘息なんて不自然な病気もほとんどなかった。食べ物自体が薬だったのだ。

現代の食は「選択」という意味では豊かだろう。しかし輸入されたチーズやハムを食べることが果たして本当に「豊か」ということなのか。食べ物は工場で機械によって作られ、それらは大量の燃料を使って日本中、もしくは世界中に輸送される。それよりも人の手で手間暇かけて作られたその地の自然なものを感謝して食べること、日本料理を中心に食べること、そうすれば長く健康に生きることができ、豊かというものだと言っては言い過ぎなのだろうか。

私はいつも人が何を食べるのかは、自由であっていいと思っている。
世界を旅して「食べ物」というのはとても繊細な話題だと気がついたからだ。それは民族、いや一個人の食べ物へ対する向き合い方で、その考え方は十人十色。そして私はそれは尊重されて当然だと思っている。

ただ事実、食は大変な危険に瀕している。安全な食べ物があまりにも少ない。それは現代人の過剰に忙しい生活の犠牲でもあり、利益を求めた大量生産の結果だとも言える。そして一番大きな原因は戦後のGHQが日本を統治したあの7年間にある。あの7年で敗戦国日本が再び立ち上がり強い民族にならぬよう、学校給食などを使ってそれまで長く続いた日本民族の食文化を減退させていったのだ。そのことを念頭に置いて自分の食を考えるということは大切だ。


ロケットストーブや七輪で料理をする真耶ちゃん。彼女の料理はお腹だけでなく、こころもほっこり満たしてくれる。そしていつも大切なことに気づかせてくれる。

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薪の暮らし。それは手間のかかる暮らしではなるが、その質に適うものはない。
彼女の家のお風呂はなんと五右衛門風呂。
毎日夕方になると薪に火をつけお風呂を沸かす。時代が全自動のお風呂に移りゆく中、こんな生活を選んで生活しているなんて真逆に進んでいるのか。いや、一度元に戻ってそれから大切なものを取り戻しているのだ。だから私はいつも帰国の度にこの地に足を運んでしまう。きっと私も大切なものを取り戻したいと切望している一人なのだ。

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それにしても薪で沸かしたお風呂というのは体を芯まで温めてくれる。このお湯にはそんなパワーがあるのだ。サナもンペポも五右衛門風呂が大好きになった。

お風呂のインテリアも漆喰を塗って周りを仕上げ、貝殻や緑が五右衛門風呂にマッチして、女性的な空間になっている。彼女は日本昔話のような生活を見事に自分の手で、オシャレなスタイルに変えてしまう魔法を持っている。そして彼女の家には大小様々な観葉植物がいきいきと育っていて、屋内の空間に自然を足してくれる。なんとも心が安らぐ空間。

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縁側から見える竹林の緑が風に振られしなっていた。その風景が昔話の中にようなタイムトリップしたそんな感じにさせる。

今頃は山の家だからすっかり寒いだろうな。寒い日の五右衛門風呂はたまらないだろうな。
寒くなる日本に反して、徐々に夏へ移行している南アフリカの生活の中、いつもふと彼らの生活に想いを馳せ、力が湧いてくる瞬間があるのだ。


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