新連載 だって私はニホンジン! - sisodwa
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連載中:だって私はニホンジン!

新連載 だって私はニホンジン!

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海外へ出た日本人が初めて感じること。それは「そうか、私(僕)って日本人なんだぁ」と再認識すること。24歳の時に日本を出てからもう13年の海外生活。世界を旅して、たどり着いた南アフリカに移住した筆者が、これから海外に出る若者に送る、日本人が自分らしくあるために、心に留めて置きたいことを綴った新連載 コラム「だって私はニホンジン」。海外に出る人は必読!

第1回   英語が苦手な日本人

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英語が話せない日本人

最初に言っておくが、日本人は英語が下手だ。これまでに世界各国の人とコミュニケーションをとってきたけれど、総括して日本人の英語はお世辞にも上手とは言えない。オランダ人やドイツ人、スウェーデン人などは、すぐに英語が話せるようになる。イギリス植民地の影響を受けている国も教育システムが英語の場合が多く英語が上手である。そんな英語が堪能な人たちと出会うと、英語の勉強になると思いながらも、腰が引けてしまう。日本人の英語は上達するのに並々ならぬ努力が必要だ。日本語というのは英語と真逆の文法で話されるので、私はそれが日本人が英語をすぐに話せるようにならない一番の原因ではないかと思っている。

たとえば「昨日スーパーに行きました。」という文があるとする。英語になると「I went to a supermarket yesterday.」となる。これを日本語文法の英語に直すと「Yesterday supermarket went」となる。日本語はそもそも誰でも想像できる主語であれば省略できるし、だいたい時が一番先にくるのに対して、英語は一番最後にくる。そして英語は動詞が一番先にくるのに対して、日本語では一番最後。日本語と英語は真逆の言語と言える。

こうした英語という国際的な言語が日本語と真逆、というのはそもそも日本人にはとても不利な話である。しかも植民地化された経験のない日本では教育、メディア、本、標識は全て日本語表記がされており、国内では日本語以外の言語ができなくても快適な暮らしができる。日本国内にいる限りは英語を話す必要性はほとんどない。

英語が下手でも誇りは忘れない

そんな日本人のバックグラウンドを見れば英語が話せないのも頷ける。しかし私たちは「英語が話せない=何も考えてない」わけではない。その議論が日本語でされていれば、堂々と自分の意見を言えるものも、英語ゆえ議論についていけないのだ。そんな時、適当に相槌を打ち、ヘラヘラとしていては恥ずかしい。どこか子供扱いされることも嫌った方が良い。英語が話せないだけの立派な大人なのだ。英語ができなくても、自分の誇りを持ってそこに存在する。大勢での議論についていけなければ、一対一の会話で英語を学べばいい。英語が流暢な人よりも同じアジア人や、英語があまり得意ではないスペイン、フランスなどのラテン系の人たちと一緒に英語に慣れることも必要だろう。一番大切なのは英語が話せないことに劣等感を持たず、必要な英語がわからなければ「わからない」という意思を見せることも大切だ。日本人に見られがちな、わからなくてもニコニコしてその場を乗り切る。それは外国人にはあまり理解できない態度であることも忘れないように。

お互いの足を引っ張り合う

これは本当におかしな話なのだが、日本人は英語が苦手な民族であるにもかかわらず、お互いの足を引っ張り合うという、全く醜い習性がある。外国人を囲んで数人の日本人と話していると「それは違うでしょ?recommend じゃなくて offerじゃない?」とか「そこはonじゃなくてatでしょ?」とか採点が入ってくる。話している本人は必死に英語を肌で学んでいる最中に、茶々が入るのだ。この茶々、私は必要ないでしょ?といつも思っている。なんだが素直に「教えてくれてありがとう!!!」という気持ちにはなれない。

私は英語が話せるようになるのは、どれだけ英語で人とコミュニケーションをとったかによってだと思っている。どれだけ自分が英語を話す環境に身を置き、英語を使って自分の意見を伝えようとしたか。先述したように私たちは立派な大人だ。立派な大人である以上、自分の意見もある。それを伝えるツールが英語なはずである。だから日本人はよく「英語が話せるようになれたらなぁ」などと言うが、それは「自分の意思が伝えられる」とか「人の言うことが理解できる」ということを意味した方がよい。

まだ私が自分の意思を全然英語で伝えることができなかった頃、日本人の茶々によって、私は日本人の前で英語を話すことに一種の緊張のようなものを感じることがあった。高校時代、私は英語が特に好きな方でもなかったので、オーストラリアにワーホリに行った時は全然英語ができなくて、自信を持てずにいた。そこに茶々が入るものだから、ますます話したくなくなるという悪循環を辿った。だから今でも私は何か致命的なミステイクをしていない限り、間違った英語を話している人を正したりしないし、本当に本人がわかっていなくて手助けが必要でない限り手助けもしない。それは私が誰かの英語を話せるようにはできないと自分の経験を持ってわかっているからだ。それよりも堂々と英語を話す姿を見せた方が、よっぽど刺激的となることもわかっている。英語を話せるようになるには、たくさんのミステイクを繰り返す必要がある。そうやって人は新しい言語を学ぶのである。

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言語の壁を突き破って、その先の世界に飛び込む

私たちが海外に出て、一番初めにぶつかる言語の壁。ここでは私が第二言語に英語を話すので英語を用いて紹介したが、それが中国語だったり、スペイン語だったり、フランス語だったりと言語の数だけそこにチャンレンジもあるだろう。

肝心なことは、自分の意思を伝えるようになること。人の意見が聞けること。言語が違えば思考回路も違う。いろんな国の人と出会えば、自分の視野も広くなる。そして英語はある日突然話せるようにはならない。どんなに英語を話す年数が長くても、ある日出会った人の英語が全く聞き取れないということだってある。日々努力なくしては、前には進めないのである。しかしたくさんの人と意見を交換し、文化を学ぶというのはとっても面白いことだ。英語できるようになるということは、TOIECの点数を稼ぐためではない。その言語を通して、その先に広がる新しい世界に飛び込む。そこには日本にいるだけでは見えなかった、新しい価値観やアイディアで溢れているのだ。



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