「誰のことも恨まずにこの世を去る」人生、楽しく生きていきたい - sisodwa
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トランスカイ・暮らしのエッセイ

「誰のことも恨まずにこの世を去る」人生、楽しく生きていきたい

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第17回    「誰のことも恨まずにこの世を去る」人生、楽しく生きていきたい

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(ポート セント ジョーンズ in トランスカイ)

人生楽しく生きていきたい。誰もがそう思って生きているのではないだろうか。
しかしみんな自分で自分を不自由にしたり、思わない方向に向かわせたりしている、そんなものだ。
肝心なことは、自分で自分のマインドを解放すること、私はそのように思っている。

といいながらも、私は何かに耐え、乗り越えることで精神修行をすることが好きな一面がある。私にとって楽しいだけの生き方は退屈なのである。いや、“退屈”と表現するのは少し違うかもしれない。

それは私の旅のスタイルを例に出すとわかりやすいのだが、旅の予算が低かったとはいえ、ヒッチハイクで世界を旅するというのは、なかなかタフな体験であった。もちろん肉体的にタフだったこともあるが、いつ着くかもわからないのがヒッチハイクである。そして人の優しさの上に成り立つので、優しくされているのに、それが心からの優しさなのか、何か下心があるのか、など常に見極めねばならなかったのだ。そんな精神的なタフさが要求された。

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(ヒッチハイクの旅。エチオピア ラリベラにて)

人気の宿に泊まり、同じようなバックパッカーと友達になりながら、美しい場所を観光して、ほぼ必ずその地につける公共の交通機関を使い、最高に楽しい旅をする。私の旅(ユーラシア大陸・アフリカ大陸の旅)は、そんな旅ではなかった。無論、私がそのような旅を否定しているわけではないことはご理解いただきたい。私はそういった旅の“楽しさ”にあまり心を惹かれないのである。

旅の中、私は精神修行をしていた。時間にも縛られず、明日の行き場もわからない、お金だけに頼らない旅、タダで乗せてもらうヒッチハイク、タダで泊めてもらう民泊、自分をできるだけ自由な姿に解放し、他力に任せる、一瞬先もわからないような自由。タフではあったが、私は正直、そんな瞬間“楽しさ”にも似た心の高揚を感じていた。そんな状態でいると、頭の中に閃きを感じ、出会う人を見るだけで、どのような人なのかを感じ取ることができた。それはとても不思議な感覚であるが、私はそのように出会う人に身を任せ、世界中の人々にお世話になっていた。

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(南アフリカはアフリカ最南端の国。インド洋と大西洋が混ざり合う地。)

私は自分の旅を人の一生に当てはめて考えてみた。やっぱり人生は楽しいことばかりではやっていけないのだろう。そこに障害物があることも含め、それが人生なのではないだろうか。山あり谷あり、それが人の一生である。であれば、私は“谷”にも楽しみを見つけ出したいと思う。“谷”にこそ、自分の精神を成長させる何かが秘められている気がするのだ。

その作業をする時に、私は“第三者”の存在は関係ないと思うようにしている。例えば誰か一人が執拗に私にストレスを与えていたとして、私はその誰かを“当事者”と考えず“第三者”と考えるようにしている。私のマインドの中から、その人の行動を全く変えることなく、そのストレスを取り去ることができる力がきっとあるのだと信じているのだ。私はどの宗教にも属していないが、同時に全ての宗教に属しているようなところもあるので、何か偉大な力が私たちに働きかけていることを信じている。

こんなことをいうと「バンベニ桃はきっと怪しい宗教に入っているのだろう」などと言われてしまうかもしれないが、“属する”ことが嫌いな私は先述したように、何の宗教にも属さない。宗教はみな人間が作ったものだからだ。しかし何か偉大な力は絶対的に存在していると思っている。私はその存在と共に旅していたし、現にこの地球にはその存在を信仰している人で溢れているのだ。

私は人生の“谷”にある時、それはその第三者を変えずに、自分のマインドだけで解決することができると信じている。「なぜ今私がこれを乗り越える必要があるのか?」そこに意識を集中する。起こることは起こるべくして起こっているので、「そこから自分が何を得るのか」という風に意識を持っていくのである。

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(トランスカイの内陸の良く晴れた日の風景)

そしてできる限りポジティブな理想の乗り越え方のイメージを頭の中に膨らませる。例えば「その相手を愛そう」という解決方法でもいいし、(恨みなどの感情は一切捨てて)自分が強くなるイメージを膨らませるもの効果的だろう。後は自分の精神修行のみである。目標は誰かを変えることではなく、自分の中に何か得ることである。そしてその何かを得た時、今までとてもストレスだった物自体が自分から遠のいていく。それは自分に出された課題をクリアしたかのように、すーっと霧が晴れるような爽快な感覚だ。そして自分の精神が成長するに連れ、出会う人や周りの人の精神の質も変わっていくことを実感する。

人生は山あり谷ありだ。誰もが楽しい人生を送りたいと願っている。でも嫌なことから逃げることはできないし、嫌なことは嫌でも起こる。ならば嫌なことも自分にとってプラスになるように生きて行く。そうすれば、少なくとも誰かを恨み、人のせいにする人生にはならないだろう。

人は集団の輪の中で生きているが、自分以外誰も自分のマインドを変えることはできない。親も子供もパートナーも友達も、同じ輪の中にいるだけで、全く別の人間だ。私は心を気持ち良く解放し、山も谷も、どうにかこうにか楽しさを見出して生きていきたいと思っている。そしていつかばぁちゃんになった時、肉体とは対照的に精神はとても強靭なものとなり、誰のことも恨まずにこの世を去る。私はそんな人生を歩きたいのだ。




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