小鳥と共に暮らそう。「庭の鳥」と「カゴの中の鳥」。 - sisodwa
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トランスカイ・暮らしのエッセイ

小鳥と共に暮らそう。「庭の鳥」と「カゴの中の鳥」。

第21回   小鳥と共に暮らそう。「庭の鳥」と「カゴの中の鳥」

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小さい頃から、我が家ではいつも小鳥を飼っていた。

一番初めに迎えた小鳥はセキセインコ。私はまだとても小さかったのでうろ覚えだが、黄緑色と黄色が可愛いその子を、父は「武蔵」と名付けた。

その子が死んだ後、また同じ色のインコが来て、父はその子にも「武蔵」と名付けた。

小学校の頃、親の知り合いが手乗りインコを拾ったのを譲ってもらった。
淡い虹色のとっても美しいそのセキセインコに父は「周作」と名付けた。
私はこっそり父のネーミングセンスを楽しんでいた。

肩に周作を乗せて、友人の家に遊びに行っていた当時小5の私は、その日も肩に周作を乗せて友人の家に遊びに行っていた。そして、その家の猫に噛み殺されてしまった。一瞬に起こった事故だった。猫のいる家にインコを連れて行ったことが、悲劇の始まりだった。何度も後悔をしたけれど、もう周作は戻らない。

瞼が持ち上がらないほどの悲しみの後、その友人のお母さんに真っ白のセキセインコのヒナをいただいた。優しい人だ。そのインコを妹がグレーテルと名付けた。そして父がもう一羽セキセインコを買ってきた。黄色と黄緑が可愛いその子は今度はヘンゼルと名付け、我が家のアイドル的な存在となった。

飼ってすぐにヘンゼルは逃げてしまい、グレーテルは10年以上、みんなに愛されて生きた。



当時社会人だった私はある週末、ペットショップにいた。
そこでとても可愛いオカメインコのヒナを見かけた私は、その子を迎え入れることにした。

そしてそのインコに「にゃご」を名付けた。
そして私と妹がお嫁に行くことが決まると、十年ほど生きたにゃごは、あの世に逝ってしまった。

小鳥たちは私に「生」と「死」を教えてくれた。
にゃごの死も、心がとても痛かった。


子供の頃から常に家にいたインコ。人差し指で首をコリコリ撫でてやると喜ぶインコ。
私は小鳥が大好きだ。あれから7年。私はアフリカで暮らしている。

私の暮らす街に小さなペットショップが一軒あり、小鳥と熱帯魚が少しずつ売られている。
移住してすぐ、そのペットショップに行き、小鳥を飼おうと考えたが、鳥かごが異様に高かったので諦めたことがあった。


しかし今は飼わなくてよかったと思っている。
私はトランスカイの暮らしの中で、野鳥をもっと身近に感じることができるようになっていた。

ブログでも何度か紹介させてもらったが、我が家には数年前からハタオリドリが巣を作り住み着いている。

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ハタオリドリは燕のように、人前に堂々と巣を作る鳥で、その巣は庭の桑の木にぶらぶらぶら下がっている。美しい黄色い羽色をしたオスが、これまた美しいベージュ色のメスを誘う。メスはオスの巣作りの上手さに惹かれて恋をする。そして数羽のメスと一羽のオスのファミリーができ、毎年そこから可愛い小鳥が巣立って行くのである。

ハタオリドリ観察記

ハタオリドリを観察していると、彼らは我が家にある葦の葉で巣を作っているのがわかる。巣を作るのは桃と桑の木。部屋の中からでもいつもうかがえる彼らのその暮らし。それは私をいつも癒してくれる。

野鳥を同居人に持つことは手乗りインコのようなコミュニケーションはないけれど、手乗りインコとは全く違った喜びを得ることができるのだ。

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彼らは冬の終わり頃になると、やってくる。
同じ奴かもしれないし、昨年ここから巣立った子供達の中に一羽かもしれない。
上手に巣を作る器用な奴はいつもたくさんのメスを集め、たくさんの子供を残す。
経験不足や不器用な奴は、一生懸命巣を作っては、フラれを繰り返えす。
餌も庭中を飛び回り、あらゆる虫を食べてくれるので、畑に虫が湧くことが少ないというメリットもある。

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そしてそれがどんな子であれ、彼らは野鳥だ。私の助けを一切必要としてない。そんな野生動物の営みは小鳥といえど、力強く、生命力が漲っている。

裏庭にある薪風呂の横に植わっているネズミモチの木々の中には、山鳩が巣を作っている。季節になると、恋人同士がバタバタとラブダンスを踊るのが見られる。小鳩が巣立つ時には、飛び方の練習をしている様子も見れる。

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(鳴き声が美しい山鳩。)

笹の木の中にもセキレイ科の鳥が巣を作っている。
鳥が頻繁に同じ茂みに入っていたら、鳥がいない間にそっと覗いてみる。すると小さな赤ちゃんたちがいたり、小さな卵があったりする。

小さな同居人の他にも、我が家に果樹がいろいろ植わっているので、あらゆる野鳥が訪れる。

桑の実の季節の今は、真っ黒の羽色に赤いワンポイントがかわいいムクドリの群れが毎日のように朝ごはんを食べに来る。グアヴァや桃の季節になるとマウスバードと呼ばれる本当にパッと見ネズミがいるような鳥の群れも訪れてくれる。

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(ムクドリの群れ)

夏の大雨の日の後に羽蟻のような虫が庭から大量発生する時がある。大量の虫が空へと流れて行くのだが、その日はすごい数の野鳥が集まってくる。トキのように大きな鳥まで庭の木に留まって、この虫を食べている。

庭のカンナの花が満開の時は、サンバードというハチドリくらいの小さな鳥がカンナの蜜を吸いに来る。長いくちばしを花に入れ、ストローのように上手に蜜を吸う。鶏の卵ほどの大きさの小鳥が花に留まって、蜜を吸っている様子は、とても可愛く、しばし気配を消して、見とれてしまう。

窓から見えるこのような野鳥の営みをぼんやり眺めながら、私はやっぱりあのセキセインコを飼わなくて本当によかったと思う。

この野鳥たちの暮らしに私は餌や水の心配も、巣の掃除の心配も、病気の心配も何もしてない。私はこの同居人を心から歓迎しているだけだ。彼らの暮らしを一緒に楽しんでいる。彼らが何年生きて、どこで死んでいるのかもわからないし、その心配さえする必要もなさそうなので、ペットロスのような喪失感もない。

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私はもう小鳥をペットとしてカゴに入れて飼うことはないだろうな、と思った。

鳥はその翼で自由に空を飛ぶ生き物だ。好きな場所に飛んで、餌を捕まえ、出会った相手と愛し合い、巣を作り、その命を繋いでいく。そして人知れずどこかでそっとこの世を去る。

私は空を自由に飛び回るその姿を羨望の眼差しで見る。私はそんな気持ちで鳥を眺めたい自分に気がつく。鳥かごで小鳥を飼っていた時、何か得体の知れない小さな罪悪感が常に心にあった。
その罪悪感がぼんやりわかった気がした。

小鳥。小鳥。小鳥。
私は小鳥が大好きだ。今も昔も。とっても好き。
小鳥と一緒に暮らすっていいな。

そう思いながら私は我が家の木々を眺める。
ハタオリドリが求愛の声を出して、メスを誘っている。
オスは必死になって、一生懸命作ったその巣をメスに見せる。
メスは念入りにチェックしている。



お。今度は、気に入ったかな。




なんて楽しみながら、庭の木々で今日も小鳥の健気で愉快な暮らしは続いていくのだ。


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