日本へ移住と、その理由。 - sisodwa
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日々のこと・日々の想い

日本へ移住と、その理由。

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(意外にもランドセルが様になっている)

実家の北九州で暮らし始めて、はや1ヶ月。
子供の学校の手続きや、子供たちが日本の暮らしに慣れることなどで、あっという間に時が過ぎていった。

私が日本に移住を決めた理由や心境を、まとまらない文章になるだろうが、少しここに綴ろうと思う。

いろんな理由が混ざり合って決めた今回の移住。
その中の理由の一つに、人との出逢いがある。2年に一度日本に一時帰国するたびに、同じような価値観を持つ人や、考え方をする人、素敵な人たちに出会い続け、正直とても刺激を受けた。私の暮らすトランスカイは南アの中でも田舎であるので、全くいなくはないのだが、なかなか同じような価値観を持つ人と出逢うことがない。何か物作りをしている友達も遠くの街にはいるものの、年に一度くらいしか会うことはない。

そして私の地球アート雑貨シソドワの活動も、南アではなかなか芽が出ず、ここ数年は日本での販売が中心となっていた。せっかく作品を作っても販売する機会がないのは、次の作品に繋がらず、日本でいつかチャレンジしてみたいと感じるようになっていたのだ。

もう一つの理由に、質素な暮らしを好んでいるものの、子供の成長に連れて、経済的なこともやはり考えなければならなくなってきたということがあった。南アフリカではお金を出せばいい教育を受けさせられるものの、そうでなければ教育レベルはかなり低く、小学校一年生を終えた長男がまだ読み書きさえも教えてもらっていないことに不安を覚えていた。教育ママになるつもりはないのだが、やはり子供の未来を心配してしまう。この子たちには、国境を越えて自由に物事を考えてもらいたい気持ちと、このままではそのチャンスを子供たちに与えることができないのではないかという不安があったのだ。

このまま南アフリカで教育を受けるのか、日本の学校に移すのか。。。。家族会議には、ちょくちょくこのような内容が上がった。移すのであれば小学校二年生の今がラストチャンスのようにも思えた。それ以降であれば、本人がとても努力しなければいけないだろう。4月の始業式に合わせるために、バタバタとした帰国となってしまった。

日本で子供を育てることと、南アフリカで子供を育てることは、その環境に極端な違いがあった。どちらが良いというわけではない。

教育、医療、モラルでは日本の方が圧倒的に南アフリカより安心できる(いい教育と医療は富裕層のみの特権である)。
しかし南アフリカ人は平均的に子供好きで、社会全体が子供に優しくおおらかである。そして近所にたくさん子供がいるので、子供が勝手に子供の社会を作り育つ面では、子供にとってはとてもいい環境だと言える。コサ族は子供の個性にも寛容だ。

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(トランスカイの海岸線を旅した時の一枚。南アフリカは自然の中に人間が暮らしている。)


去年の夏、日本に一時帰国して、その後アフリカに戻り、人間として、母として、アーティストとして、そして妻として、いっぱい考えた。

夫セコは、教育を受けるなら日本の方がいいことに賛成だった。しかし彼は羊やヤギ、家などのプロパティが多く、トランスカイを離れることができない。そして彼自身も、日本に移住することに踏み出せないようだった。その理由は私にも理解できた。アフリカの村で長男に生まれ育った彼が、何もかもを捨てて日本にくるということは、とても大きな決断だ。

そして私が彼にそうして欲しいのかというのも、定かではなかった。彼のことは愛しているけれど、彼が日本に来て、うまくやっていける自信もない。そもそもセコは海外で何かしたいという願望もなく、コサ族の文化に誇りを持ち、村を愛するシンプルな人なのだ。私はそんな彼が好きで一緒に暮らしていた。あまりにもアフリカ人すぎて、ついていけないこともたくさんあったけど、シンプルなことに満足し、なんでも手作りで作ってしまう彼をいつも尊敬していた。

アフリカに嫁に行って、そこで根を張り、骨を埋める。結婚してから私はその一路を突き進んで来た。
でもその間も日本に向けて文字を綴り続けた。暮らしている場所に日本人が一人しかいないと言うことで、さらに自分の日本人としてのアイデンティティと向き合った8年間だった。このトランスカイでの私の暮らしは、私をアフリカ人化するどころか、私をさらに日本人化させた(笑)いつしか私は日本の文化をもっとたくさん知りたいと感じるようになっていた。



そして一度しかない人生なのだから、自分がまた日本でチャレンジしたいことがあるのなら、そしてそれが子供たちの未来に繋がるのであれば、彼らが義務教育を卒業するまでは、日本で暮らしてみようと思ったのだ。アフリカ文化を心から愛する反面、ついていけないことを乗り越えようと、ひたすら頑張る自分もいた。

離れ離れになってしまったことは、セコにとっても、私にとっても、子供たちにとっても、悲しいことだ。でもセコは今は一人で考える時間だと捉えていて、決意すれば日本に来ることも考えていると言う。私はそれを彼の意思に任せたいと思う。

私の経済力にもよるだろうが、子供が成長する中で、できるだけトランスカイに連れていってあげたいと思う。タタ(お父さん)に会えること、コサ族の文化を知ること、アフリカの大自然を感じること、そして彼らは日本人でもあるけど、南アフリカ人でもあること、そんなことを彼らに感じて欲しい。

そして最後にアフリカでの暮らしを心の底から応援してくれていた父と母。日本に帰国してきた私と孫を、嫌な顔せずに、こうして受け入れてくれた二人。いつまでの親孝行できず、心配をかけてばかりの自分。今の私の暮らしは二人の愛の上に成り立っている。感謝の気持ちでいっぱいだ。

この8年間のアフリカの暮らしで、私が学んだことは数知れず。日本へ移住する時の、私の強みは、失うことが何もないことだった。物に頼らないアフリカの暮らしでは、物を所有しない暮らしでもあったので、日本へ行くことを決めてた時も、私を縛るものは何もなかった。私の財産は私の中にある。それは荷物にもならない、誰からも奪われることもない貴重な体験なのだ。日本でのこれからの暮らしもシンプルなことに満足して行きたいと思っている。

私たちはアフリカにも帰る場所がある。日本へ来てからも、いつも心のどこかで恋しく思っているトランスカイの我が家。それはトランスカイで暮らしていた時に、日本を想う気持ちに少し似ているかも知れない。

一度きりの人生。自分らしく精一杯、楽しく生きよう。

根がポジティブな私は、どんな時も前向きに生きている。
心配していた子供たちの学校や幼稚園も決まったので、少し安心した。

そしてゆっくりとトランスカイの暮らしの話をいつか文字にしたいと思う。

アフリカでも日本でも同じ地球の上。見上げれば空が広がり、この空がトランスカイに続いていると、励まされる。
セコも、同居人のシントゥも、大家族のみんなも、愛犬チョンも、鶏も、豚も、羊も、ヤギも、みんなみんな元気にしてるかなぁ・・・?
1ヶ月前のことなのに、トランスカイにいたことが随分昔のことに感じられる。

Life goes on...... そう、どこにいても何をしていても人生は続いて行く。私はこの一瞬一瞬を生きよう。

ということで、皆様、これからの日本での私の暮らしを楽しみにしていただけると幸いです。

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We love you Tata Seko!







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