天国へ届けるラブレター - sisodwa
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日々のこと・日々の想い

天国へ届けるラブレター

4年前のあの日、私はトランスカイの我が家で子供二人を寝かしつけながら、一緒に寝落ち寸前になっていた。風邪を引いていたので、熱っぽく頭がボーッとしていた。

すると、日本人は私しか住んでいない街なのに、「こんばんわ〜。」という男の人の声が聞こえてきたのだ。風邪が悪くなって幻聴でも聞いているのか、そう思った。でも外に人の気配を感じる。
なんとも疑わしい気持ちで外に出ると、一人の50代の日本人男性がヤンキー座りでドアの前にいた。


私の顔を見て彼は「こんばんわ。」とまた言った。

「あ、こんばんわ。」と、私。


絶対的に変なシチュエーションなのだが、久しぶりに会う日本人に嬉しくなる自分もいて、とりあえず話を聞くことにした。

彼は2年前から南アフリカを旅している旅人で、トランスカイにもしばらく滞在していたという。そういえば風の噂で、何度か日本人のヒッピーおじさんがトランスカイにいると聞いていた。彼のことに間違いなさそうだ。

そんな彼はヘトヘトに疲れていた。生活していた場所のオーナーともめて、追い出されてしまったというのだ。一文無しで、パスポートの期限も、南アフリカのビザの期限も切れていた。

これがタウさんとの出逢いだ(日本では彼は”徳さん”として知られている)。忘れもしない。衝撃的すぎる出逢い。この出逢いは彼を象徴した出逢いでもあった。

その後仕事から帰って来た夫セコ。彼はいつもの調子で「住むところがないんだったらウチにいたらいい」と言った。だいたいいつもウチには居候がいるのだけど、この時は偶然おらず、居候用の4畳半の部屋はタウさんの部屋となった。彼は我が家の初めての日本人の居候となったのだ。

同じく長い間日本人とほとんど接触していなかった彼は、私の作る日本食に喜んでくれた。広島出身の彼は料理が上手で、広島スタイルのお好み焼きをよく作ってくれた。


タウさんはトランスカイのあちこちで、いろんな武勇伝を持った人でもあった。要するにいろんな所で喧嘩をするような激しい性格の持ち主だったのだ。しかし芯の部分はとても純粋で、その振り幅がすごい人だった。ま、我が家でもそんな調子ではあったけど、総括して、私もセコもタウさんが好きだった。

彼とは2ヶ月間一緒に生活した。この2ヶ月で私はいろんな話を聞かせてもらった。タウさんは植物に詳しく、南アフリカの植物のこと、薬草のことをたくさん教えてくれた。また彼の生い立ちや、スペインのヒッピービレッジで暮らしていた時の話など、いろんな話をしてくれた。嘘のような話もたくさんあったけど、たぶん全部本当のことなんだ。彼の人生は、嘘のような本当の話。

当時うちには壊れかけたギターしかなかったのだが、それをチューニングして、彼はいつも弾き語っていた。
歌う歌は、大きなのっぽの古時計、かごめかごめ、水色・・・。



そのタウさんが先日、スペインのBeneficioで亡くなったという話が風の便りで伝わって来た。



「・・・・・・え?」



なんだろう。唖然としたその感覚と、信じられないという感覚。
悲しみという感情はじわじわと感じているけれど、まだ信じられない。
それでもなんかもうこの世にタウさんがいない事実に、心がポカーンとする。

彼の死を聞いてからもう4日経つ。
この4日間、彼との時間を思い出していた。

タウさんとの出会いによって、私は南アフリカの植物とより繋がることができたし、彼が繋いでくれた縁で、今もたくさん南アフリカに友人がいる。そして偶然にも、日本でも共通の知り合いがいたりと、彼との縁は本当に不思議だとしか言いようがない。


人の死が意味することは、その人ともう二度と会うことができないということ。

そう思うと、涙が自然と溢れ出てくる。


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トランスカイの我が家で2ヶ月過ごした彼との別れは、突然だった。
一文無しの彼は、私との暮らしでスッカリ日本が恋しくなったと言い、日本に帰ることになったのだ。私もそれを薦めていた。一文無しでの海外生活は過酷すぎる。

それから弟さんと連絡をとり、数週間後、彼は見事に7年ぶりに日本に帰国することになった。


それから一度だけ、彼と再会したことがあった。
3年前、日本に一時帰国していた時に、連絡をして尾道の友人宅で再会を約束したのだ。
タウさんは南アフリカにいる時と全然変わりなくて、私はとても嬉しかった。友人宅に少しの間一緒に滞在して、久しぶりに彼との時間を楽しんだ。子供達も嬉しそうだった。

それからしばらくして、彼は昔暮らしていたスペインに移り住んだ。
それからもたまにメッセージを交換する距離ではあったけど、彼にあったのは、その3年前が最後。

あの日本人のいないトランスカイで、日本人と2ヶ月間一緒に暮らしたというのは、私の中ではとても大きなことだった。一文無しの日本人だとしても、それがタウさんだったことに、意味を考えずにはいられなかった。

彼の死を想う時、スピリチュアルな彼のことだから、自然と死を受け入れていたと思っている。
彼はそんな哲学を人に説くような人だった。58歳という短い一生だけど、波乱万丈の人生だっただろう。本当に彼の人生を聞くと、山あり谷あり、嘘のような本当の話。

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タウさん、それまではメールでしか連絡を取る術ななかったけど、今はこうして心の中で話しかけると、この声がアナタに届いているような気がします。

たくさんのことを教えてくれてありがとうございます。タウさんのことだから天国でまた喧嘩してるかな。でもタウさんの心がスーパー純粋だったことは、一緒に暮らしたたった2ヶ月の間に、よくわかったの。だから、喧嘩しても何しても、天国で元気に煙管をふかしている姿を想像しています。


タウさんの死を娘ンペポ に伝えると、「人は死ぬけど、また新しい命が生まれるね」と言っていました。彼女は最近、死について考えることがよくあるようで、いろんな質問を投げかけてくれます。その度、私も純粋な気持ちで死について考えることができます。



タウさん、この日の日記をラブレターとして天国のアナタに送ります。

本当にありがとう。ご冥福をお祈りします。
R.I.P. I love you, brother.




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