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sisodwa さくひん・工房

お金ではない価値のあり方を考える「庭に果樹を植えよう」2017年ガヴァピアス

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シソドワの作品で使われるビーズには私が歩き回って収穫している木の実や、鞘などの他に、日常的に暮らしの中で食べている種がある。

オリーブの種、アボカドの種、びわの種、桃の種、ライチの種、ナツメヤシの種・・・・。

木の種は大抵硬い。もしくは乾燥させると硬くなる。美味しくその果実をいただいたら、大切にその種を洗って、乾燥して、亜麻仁油や、彫刻などを施す。種の形は一つ一つ果実によって違う。その種を見るだけで幸せな気分になる。

我が家にはユーカリや、ネズミモチの木の他に、桃の木や、桑の木、ガヴァの木などの果樹もいくつか植わっている。この果樹は私がお嫁に来た時から植わっていた木で、毎年おいしい果実を私たちに与えてくれる、季節を感じるのに欠かせない存在だ。

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(我が家のガヴァの木)

中でも庭の真ん中にあるガヴァの木は、子供たちの格好の遊び場。子供たちが上手にこの木に登るのを見ると、この木が優しく子供たちを育んでくれているかのようだ。木は声こそ出さないが、そこにある生命力は他の生き物に負け劣らないものを持っている。実はこのガヴァの実がシソドワの作品に生まれ変わるのだ。

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「暮らしのエッセイ:続・おんなのこ」→リンク


通常ガヴァの木はトロピカルな海岸沿いに植わっているのだけど、私の住む内陸でも育つことが可能だ。しかし果実の時期は海岸沿いより少し遅れて、7月頃(南半球は真冬)が食べごろ。

5月から6月にかけての今は、小さな緑色のガヴァの実が木に付き、少しずつ大きくなる。このガヴァの実がまだ小さい時期に、私は傷のないものを選び、収穫する。

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(収穫したてのガヴァの実)

その後、天日干しすると真っ黒に変色し、硬くなる。そしてそこに亜麻仁油を塗り、彫刻刀でいろいろな柄を掘っていく。

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実は学生の頃、美術の授業が大好きだった私は、中でも彫刻が好きだった。彫刻刀を使って掘っていく作業は、ある種の瞑想の時間だ。集中して続けていると、作業をしながら、違った次元へいくことができる。

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「人を救うのではなく、愛の循環の中で生きる」銅の雫ピアス2017年

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アクセサリー作りが楽しくてしょうがない。

少し前のブログで紹介した"旅するビーズ"のお話。いろんなところからビーズが私の元に集まってきて、それを私の手を通して作品になって、日本の誰かの手に渡るって話。

「縁があった美しいビーズたちを使って」→リンク

実は最近、こんな面白い体験をした。

その日、私は日本から買って帰ったアクセサリー用のワイヤーの残りを見て心配になっていた。もう残りが少なくなっていたのだ。私は木の実や種などのナチュラルビーズは日本で買って送ったりはしないが、パーツだけは、日本で高品質の自分の気に入ったものを、帰国した時にどっさりと買ってアフリカに持ってくる。ラジオペンチや、キリ、ノコギリなどのツールもそうだ。日本で買えるツールのクオリティは南アフリカでは求められない。

母に頼んで送ってもらうか。悩んでいた時に、夫セコになんとなくワイヤーを見せて「こんなのウムタタで買える?」と聞いてみた。「うん。電気関係のパーツ屋とかで買えるんじゃない?」と答える彼。

翌日、私はそんなことも忘れて作品作りを楽しんでいた。プレーヤーからはボブマーレィのCD”KAYA”が流れている。

I'm so high, I even touch the sky

Above the falling rain

I feel so good in my neighbourhood, so

Here I come again

〜引用:「KAYA」 Bob Marley〜

そんな気持ちの良い日の昼下がり。セコが「こんな銅線見つけたんだけど、使う?」と毛糸のように巻かれた銅線を私に見せた。

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私は思わず飛び上がり、そのクオリティを確かめる。強度もしっかりしている。しかも銅。「でもこれどうしたの?」と聞くと、「トランスフォーマー(変圧器)が道端に捨てられてて、その中から持ってきたんだよ」といういう。妻へのプレゼントが拾ったものとは・・・。なんともセコらしい。そしてそれは私が今、必要としていたものだ。嬉しくないはずがない。私たちは二人ともリサイクルが大好きなのだ。



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イラストギャラリー

カメルーンで悩まされた大雨に、押し花で「No More Rain...」

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第12回   No More Rain

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カメルーンの首都ヤウンデを旅していた時、

毎日大雨が降り、外出できないでいた。

退屈した私は画用紙に、作りためていた押し花を貼って、

神様にお願いする。

「No More Rain....」

そんなことをしていたら、退屈じゃなくなった旅での雨の日の過ごし方。



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「やっぱり地球はアートで溢れている」2017年新作・ジャカランダピアス

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工房の中では、帰国に向けて作品作りが止まらない。一度作業に入ると、時間を忘れて夜中まで作り続けてしまうこともしばしば。創作に集中し出すと、どこでその集中を止めて良いのかがわからない。

でも時間を忘れて好きなことに没頭するのって、本当に気持ちいい。やらなければならないこと、そっちのけでやってしまっても、どうにかなってる我が家が愛おしい。いくつものビーズが並ぶ作業テープルで黙々と作業をする私を見て、アフリカン家族は「とうとうお尻に火が着きましたか」とう感じで私を見守る。

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実は今年に入ってから私はブツクサ、ブツクサと「今年は帰国するから、アクセサリー作ろう」とことあることに呟いていたのだ。ライターのお仕事もあって、なかなかお尻に火が着かない私は、呟くことによって、周りの人からのプレッシャーなども多少期待するのだが、案の定アフリカリズムで暮らす彼らが、私にプレッシャーをくれるわけもなく、5月まできてしまった。

そして日本がGWの時に、さて、こないだ拾ってきたジャカランダに亜麻仁油を塗るとするか、と私は容器に入れておいたジャカランダの鞘を取り出し、ヤスリで周りをキレイに整え、亜麻仁油を一つ一つ丁寧に塗った。

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あぁ、久々の作品作り。この作業の一つ一つが愛おしい。癒される。作品作りにハマっていく私。

ジャカランダはここ数年、帰国やなんやらで収穫期を逃していて、今年やっと収穫できたものだ。小さいものから、大きいもの。曲がってるもの、まぁるいもの。この鞘の中の自然な山吹色がたまらない。やっぱり地球はアートで溢れている。

写真は亜麻仁油を塗ったばかりなのでテカテカしているが、数日すると落ち着き、いい感じになる。ジャカランダは私の大好きな植物の一つ。紫色の花が桜のように満開になり、ウムタタの街中が紫色に染まる。



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暮らしのエッセイ

「母性は神様からの贈り物」母親になることと向き合うことの大切さ

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第19回    母親になることと向き合うことの大切さ


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(3年前のサナとンペポ)



最近のうちの子供たちは自分らの遊びに夢中だから、私にかまう暇もないって感じだ。

そういえば私、「子供がいるから何にもできない!」と思ったこと、ほとんどないかもしれない、とふと思う。
あるといえば日本に帰国している時に、シソドワの活動をしようと思った時くらいで、アフリカの暮らしではほとんどない。時間に余裕があるからだろうか。

赤ん坊の世話に追われて・・・という感覚もほぼなかった。二人とも布オムツで、毎日大量のオムツを洗った。離乳食も手作りで作った。長男は母乳が足りなくて、粉ミルクを足したけど、でもおっぱい大好きだったから、二人とも私にぴったりだった。アフリカ男児は九州男児にも似て、夫セコはオムツを一度も替えたことがない。

でも・・・私はセコに「オムツを替えて欲しい」と思ったこともない。
だってオムツ替えるのって、赤ん坊の健康チェックでもあるし、コミュニケーションでもあるし、それをストレスに思うって感覚がなかった。ンペポは1歳でオムツ取れたし、うちは楽だったのか・・・。

私は「必要とされている」という感覚に満たされていたのかもしれないと思う。

長男が生まれた時は、まだアフリカで暮らすことに慣れることで精一杯で、誰かに常に傍にいて欲しいと思っていたのは、私の方だったと思う。長男は夜泣きもしたから、夜寝れない時間もだいぶあったけど、初めての子育て。だから大変だなぁと思ったけど、3ヶ月もすれば夜はたっぷり眠ってくれた。

「ワンマン育児」という言葉があるけど、なんだか「育児」をとても義務的な感じに思わせる言葉だ。そりゃ、女性の社会進出とかなんとか、男女平等とかなんとか、時代に合わせた夫婦の形があることはわかるけど。「母性」というのはもっと普遍的なもののような気がするのだ。

男性が育児をすることを否定してるわけじゃない。育児は本当に神秘な作業だから、ぜひ一緒にするといい体験ができると思う。

でも育児を押しつけ合うのはなんか違うんじゃないかな。




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